スライ・ストーンは疲れていた

私がスライ・ストーンのファミリー・アフェアという曲を聴いたのは 2億5千年ほど前だったが、いまだにこの曲が好きだ。理由は不明だが他の曲に無い魅力を感じる。その魅力が何であるかずっと不思議に思ってきたのだが、動 画サイトの英文コメントを読んで謎が解けたような気がした。

「スライは疲れていた。バンドを維持すること、その他色々と。ヤツの声に疲れが聞き取れるだろう?スライはバンドを離れ一人でスタジオに入り全パート自分 で演奏し曲を作った」というような主旨の書き込みがあった。

音楽産業関係者ぽいコメントだが私には十分納得できる。そう、スライは疲れていた。そして自分が疲れていること、その気持ち、感情をファミリー・アフェア という曲にした。それがこの曲に独特の魅力を与えていると思う。

音楽においては何らかの感情表現をする。これは当然で、何故なら感情表現のない音楽はリスナーの共感を呼ばないからだ。感情と言っても様々だ。喜び、怒 り、 悲しみ、我々は日常において様々な感情を持つ。そうした感情あるいは気持ちの中に疲れという極めてありふれたものがある。だが疲れを音楽にするのは難し い。何故なら、ほとんどの場合疲れはネガティブな状態での感情でありとても他人と共有するものではないからだ。心地よい疲れなど滅多になく、あったとして も音楽にしてわざわざ表現するほどの価値が無いように思える。

だがスライはファミリー・アフェアにおいて心地よい疲れを感じさせる音空間 を創ることに成功した。それはスライがすでに音楽家として成功していたことと関係しているのかも知れない。疲れてはいるがすぐに生活が破綻することは無い という安心感だろうか?あるいは疲れ諦めたことで気持ちが和らぎ、疲れを楽しむ余裕が出来たのかも知れない。だがボーカルを聞けばわかるのだが完全に諦め た訳ではなく、心の中で依然として怒りや苛立ちが渦を巻いていることがわかる。その部分がこの曲に深みを与えている。

もう1つ気になる英 文コメントがあった。「スライはこんなに小柄だったのか、大男だと思っていたよ」という素朴な書き込みだ。実は私もスライが小柄なのに驚いた。何故、彼の 声は体格に反してよく響いているのか?これも実はスライが疲れていたことに関係しているのではないか思う。疲れたスライは何らかの諦めの境地に達した、そ れが心や体から力みを抜き、よく通る声という形で現れたように思える。疲れたスライはドラッグにはまり、やがて廃人と化していく。本当のところは知らない が音楽雑誌などにはそう書かれている。

誰でも人生において疲れを感じるがスライのように楽曲として残せる人は少ない。その点に置いてスライは希有な才能の持ち主だったと思う。