Creative Commonsが意味を成さない理由

当初、私はこのサイトにおく自分の楽曲をCC(クリエーティブ・コモンズ)指定にしようと考えていた。さらに進んでオープン・ソースにしようかと考えていた時期もあった。だが考えれば考えるほど音楽におけるクリエーティブ・コモンズは意味を成さないと考えるようになった。

音 楽は好き嫌いで聴くものだ。もし誰かが私がサイトにおいている楽曲に利用価値を認めるなら、どのような条件がサイト上で書かれていても自分が利用したいよ うに利用し、加工したいように加工するだろう。逆に利用価値を認めないならCCであろうがオープン・ソースであろうが利用しないだろう。それはネット自体 がそうした性格を持っているからで嫌なら何らかの保護措置を取るか、サイトをたたむしかない。

私自身はできるだけ著作権を遵守したいと 思ってるしファイル交換ソフトの類は使ったことがない。だが色んな人から「オマエの欲しい曲はこのサイトにいけば落とせるよ」というメールを受け取ったの も事実だ。そしてメールで「忠告」してくれた人たちのほうがネットの主流だろう。もしそうなら積極的に自分の曲をCC指定する理由が全く無いのだ。

だ が楽器演奏に不自由する者(=ドヘタ)としては上手な人に自分の曲を演奏してもらいたいという気持ちはある。大体、私は昔から楽器練習は嫌いだがメロ ディーを創りコードをつけるのは好きだった。毎日、ギターをかかえ鼻歌を歌いカセットに保存していた時期がある。1980年代末から2001年頃までの 20年間くらいそういう作業をやったと思う。一時期はカセットの数が数千本にまで成った。今、このエッセーを書いている部屋の片隅に積まれているダンボー ル箱にその1/3くらいが残っている。

その鼻歌の数々はほとんどが今の自分にとっては意味をなさない、何故こんなメロディーを面白いとお もったのか不思議に思うレベルのものだ。だが希に新鮮なものもある。そしてPC上での音楽制作環境が格段に良くなったために、そうした素材を、そこそこの レベルの楽曲に仕上げることが可能になった。

すでに書いたように現在、私は音楽におけるCC指定は意味がないと思っているが、誰か上手な 人に自分の曲を解釈し演奏してもらいたいという気持ちはある。本当に演奏を気に入れば著作権料を徴収する権利を放棄しても良いとすら思っている。だが、ど うやってそれを実現したらいいのかがわからない。何故ならほとんどの演奏家はそれこそ演奏するのが好きな人たちであり、私のように演奏も練習も嫌いだが作 曲作業は何時間やっても苦にならないというタイプは圧倒的に少数であり、CCはそうした少数派の考えを考慮してないからだ。

1ドルが30円くらいまでの円高になった時にアメリカに出かけスタジオ・ミュージシャンを雇うくらいしか今のところこのジレンマは解決できないように思える。