ボサノバで踊る人たち

  昔、クラブ音楽シーンでブラジル音楽、とりわけボサノバが流行った時、ロンドンを始め多くの土地の音楽ファンがボサノバで踊った。これはブラジル人や正統 派ブラジル音楽ファンにとってかなり奇異な現象に見えたようで、ボサは踊る音楽ではないというニュアンスの発言をした人がいた。例えばサマー・サンバの作 者マルコス・ヴァリだ。私はクラブ音楽にさほど興味が無かったせいもあり、踊りたいならボサノバでも炭坑節でも好きなように踊れば良いだろうとクールに構 えていた。

ところで実は私自身も昔からある種のボサはダンス音楽だったのではないかと考えていたのだ。最初にダンス音楽としてのボサを主 張されたのは音楽評論家の大島守さんだったと思うが、私も大島さんの記事を読んで以来、同じ考えを持つようになった。この場合、ダンス音楽としてのボサと は初期のミルトン・バナナ・トリオであり一部のバーデン・パウエルの曲などを指す。はるか昔の話だ。

熱心なブラジル音楽ファンに会うたび に、私はボサにはダンス音楽としての一面もあったのではないかと自説を主張したが、彼らは全く取り合おうとせず、踊る音楽はサンバでありボサノバは芸術性 の高い観賞用の音楽だという「通説」を繰り返した。納得した訳ではないが彼らはブラジル人の音楽仲間がいたりするので私もそれ以上、自分の考えを繰り返さ なかった。結局のところ今も昔も私は広い意味でのアフリカ系黒人音楽ファンにすぎないのだから。

ところが最近、YouTubeでバーデン・パウエルのビデオを見ていて、やはりボサで踊る人たちがいたのだとあらためて考えるようになった。URL省略。

曲はトリステーザだが、1分23秒あたりからバーデンにからむように体をくねらせるベレー帽のアフリカ系の人が出てくる。この曲はサンバ色が強いことは認めるが、バーデンの演奏にあわせ踊る人がちゃんといたことをビデオは証明している。

コ ンゴおよびアフリカを代表する音楽家にパパ・ウェンバがいる。彼の最初の芸名はジュール・プレスリー(若きプレスリー)だった。ウェンバはプレスリーの大 ファンだったことを認めている。ではウェンバはプレスリーの音楽を正座して聴いたのか?ラジオから流れるプレスリーの曲、その一音も聞きのがすまいと耳を 澄ましたのか?そんなことはないだろうと私は思う。恐らく曲にあわせメロディーを口ずさみ体を揺さぶり、高揚するとステップも踏む、そういう聴き方をした と思う。要するに軽く踊ったのだ。

そしてウェンバがプレスリーを「踊りながら」楽しんだように、一部のボサノバも「ダンス音楽」として楽しまれたと思う。そしてボサノバがまだダンス音楽でもあった時代に、踊るために作られたのがミルトン・バナナの初期アルバムだと今も考えている。

やがて誰もボサで踊らなくなり音楽スタイルとしてのボサノバは勢いを失っていった・・・・