左遷願望

さて私の職場において音楽変人と言えば私の事であり部長、局長と口論をしてまで1ヶ月の休暇を取りアフリカまで音楽を聴きに行ったのだから、これは当然とも言えた。

だ が新しく私の職場に配属された男もなかなかであった。彼は大変なクラシック好きなのだが仕事があるためにコンサートに行けない事が非常に苦痛らしく、自分 の上司の目の前で「早く窓際に行きたい。そうしたら定時に会社を抜けてコンサートに行く。上司のイビリなど耐えぬく自信がある」などと、しばしば言い放っ た。「課長、子会社に飛ばしてください」などと実際にその子会社の人がいる場で言った時など課長の顔が晴れた日のカリブ海のように青ざめていくのをリアル に見ることができた。中々の勇者だった。

彼が加わり職場の音楽変人が二人になった訳だが、音楽好きだから意気投合するというものでもな かった。やはり私の好きなコンゴ音楽と彼の好きなクラシックでは音楽的に異なる点も若干あったのだ。だが変人同士、リスペクトしあうという雰囲気は自然に 醸成されていった。実は二人の共通の話題に成りうるアーティストがいたのだ。それはジャズ・ピアニストのキース・ジャレットなのだが、私も彼もキースの音 楽、特にソロ・ピアノを高く評価しており、誰かが私達二人の前で「あんなのジャズでも芸術でもない」とか言おうものなら、熊と狼に同時に襲われたハンター のように血だらけになりフロアを這いながら逃げ出したものだった。

キースの最高傑作はケルン・コンサートだという点において彼と私は意見 が一致していたが、ある日私が「あのアルバムは残響が多すぎる」とつぶやいたのがきっかけで亀裂がおきた。彼の反論は、ケルン・コンサートの、あの独特の 響きはヨーロッパの良いホールできちんと録音された証拠でありヨーロッパの建造物の響きの良さをなめてはいけないというものだった。

一 方、私は「ECMの録音物はレキシコンのリバーブをかけすぎだ」などと主張し彼のヨーロッパ幻想を無惨に打ち砕いた。ECMというのはキースが当時、所属 していたドイツの音楽レーベルでありレキシコンというのは当時、最高峰だったリバーブ(残響をつける装置)である。この私の主張はデタラメではなく、キー スやパット・メセニーなど当時ECMに所属していたアーティストの多くがレーベルを離れた後に同じ事を述べた。つまりリバーブというシロップをかけすぎて ECMの音は甘くなりすぎたと。

だが私も、あの独特の高揚感ある空間がリバーブだけで生み出されたとは考えておらず一体、どうやったら「あの音」が出るのかずっと考えてきた。最近になり、どうもサス・ペダルの踏み方と左右の腕のユニゾン具合が原因ではないかと考えるようになった。

そ して今、私は思うのだ。あの男は望みどおり左遷されてクラシック三昧の日々を送ってるのか、それとも音楽を捨て出世街道を目指したのか・・・・ いずれに せよ私達の職種そのものが会社の中の傍流であり、配属されていた本支社は社内で八丈島か佐渡島のような位置にあったことは事実だった。

つまりすでに彼も私も会社から十分に左遷・冷遇されていたのだ。それを知ってか知らずか、さらに左遷されることを望む男がいたことを私は思い出す。終身雇用が生きてた古き良き時代だったのだ、私は小さく苦笑いをした。