幸せな死、あるいは見解の相違

広告の仕事と言えども、記事に近い情報を提供することもある。例えば、法律事務所を紹介し具体的にどのような依頼が可能か、料金はいくらかなどを紙面で説明する。広告料をいただいているとはいえ、実生活で役に立つ情報であることには変わりはない。

そ うした「記事」では専門家のコメントをもらうことも多かった。名古屋大学のような地元の国立大学ももちろんあったが、そうしたところはどうも敷居が高く事 務局に行っても居心地が良くなかった。結果として私立大学に依頼することが多かった。特にあるミッション系の大学には相当お世話になった。

こ の大学はこちらの「厚かましいお願い」にも「快く」答えてくれた。私立大学は学生が集まらないと経営が成り立たずメディアに取り上げて欲しい訳で、当然な がらそこには以心伝心、魚心あれば水心ありという暗黙の了解があったのだ。TVでよく見る、「三河屋、おぬしも悪よのう」「いえいえ、お奉行さまほどで は」という相互依存である。山吹色のマンジュウこそ無かったが・・・・・

この大学の学長はドイツ人の神父でジョギングが趣味だった。名古屋ローカルながらかなりの有名人でもあった。この人が冬のある日、突然死んだ。早朝、ジョギングをしている時に心臓発作をおこしたのだ。通行人が見つけた時にはすでに事切れていた。

私は早速、大学に行きお悔やみを述べ、学園葬にも参列した。しかし何か馬鹿げているとも思った。健康維持のためにジョギングをやりながら、それが理由で死ぬなら、やらない方がましではないか?もはや神も仏もない末世、末法の時代に我々は生きているのかなどと考えたりした。

数 年後、偶然に母親にこの話をすると意外な返事が返ってきた。苦しむことなく誰にも迷惑をかけず死ぬことができた、これが神様のおかげでなくて何なのであろ うかというものだった。瞳を抜かれる思いがしたと言うと大げさであろうか?どれだけ死を身近に感じているか、その意識の差が予想外の返事をもたらした。

言 われて見れば、確かに「理想的な死に方」とも考えられた。神の御心あるいは慈悲の現れであったのか?だが私が心を改め毎朝ジョギングをし、ついでに新聞や 牛乳を配達するようにはならなかった。あいも変わらず酒を飲み、何故ジャズの初期においてフラッテッド5thはブルーノートとして扱われなかったかなどと 全く何の役にも立たないことを考える日々を送っているのだが。

死生観はちょっとしたきっかけで見えるものだ・・・・・・・