究極のカレー

私は広告営業として一時期、三重県を担当していた。その当時の話である。

私 と広告代理店の営業の男は、二人して鳥羽を中心に広告募集をしていた。成果は上がらず、私達は気落ちしていた。丁度昼飯時となった。だが適当なお店が無 かった。別にレストランを探した訳ではない。普通の食堂で良かったのだが、観光地鳥羽の土地柄のせいか、そうした庶民向けのメシ屋も無かった。

と りあえず「カレーやってます」という看板を出している喫茶店に入った。客は私達以外にいなかった。あまり人気がないようだった。意外なことに大きな鍋がす えてあり手製のカレーが煮込まれていた。「ほほう」、私は少し驚いた。こうした喫茶店で食事も出しますというようなところは業務用のレトルト・パウチを温 めて出すことが多い。それが一番安くて安定した味を提供できるからだ。喫茶店専用の営業マンがそうした食材を売り込みに来て勧めるからでもある。ところ が、このお店はカレー専門店のように自らカレーを作り、客に出すようだ。大きな鍋にトロリと煮込まれたカレーは予想していなかった期待を私に持たせた。 シェフの自慢のカレーへの期待だ・・・・・

我々は当然のようにカレーを注文した。シェフは大きな電気釜からご飯をよそい、鍋にシャクシを入れてカレーをバサッとかけた。鳥羽と言えば伊勢海老を始め海産物の宝庫である。そうした土地の素材を活用したカレーかも知れない、私の期待はいやが上にも高まった。

カレーを一口含み、舌の上で回した私はその味に驚愕した。何故か?それは、そのカレーがハウス・ジャワカレーそのものだったからだ。何故、ジャワカレーと断定できるかというと私も日曜日にカレーを作ることがあるが、自分の作るカレーの味とほとんど同じ味だったからだ。

「お のれ、海原雄三と知ってのことか、シェフを呼べ!」 私は立ち上がり叫ぼうとしたが、よく考えて見ると私は海原雄三でもグルメでも何でもないただの広告営 業であり、シェフは呼ばなくても私の目の前で退屈そうにスポーツ新聞を読んでいた。しかし、いくら何でもこの味はひどい、素人の私が作るカレーと同じレベ ルのカレーで数百円取るとは・・・怒りが収まらない私は隣の広告代理店の男を見た。彼はもくもくとカレーを口に運んでいた。彼があまりに平然と食べている のでこれはひょっとすると私の勘違いかも知れないと思った。土地には土地の風習というものがある。三重県では喫茶店のカレーは手製のジャワカレーであり、 それが当たり前なのかも知れなかった。

ともかく食べない事には午後の仕事に差し障りがあるので、私は不機嫌にカレーを平らげた。食べなが らあらためてカレーを見ると、脂っこい牛肉、ぞんざいに切られたタマネギや人参、全てが私が日曜日に作るジャワカレーそのものだった。食べ終えた私はもは やコーヒーなど注文せず店を出た。あらためて「カレーやってます」という看板をいまいましげに見すえた。確かにカレーが出てきたのだから看板に何ら偽りは なかった。

店の外では初夏の日射しがまぶしかった。きっと午後も広告は1つも取れないだろう、私はすでにそう確信していた。そしてその予感は裏切られることは無かった。こうして鳥羽のカレーは「ある種の究極の詐欺」として私の脳裏に焼き込まれたのだった。

後日談だが、実は業務用のハウス・ジャワカレーというのは本当にある。某スーパーでほとんどレンガのような大きさのジャワカレーを見た。どうも喫茶店だからレトルパウチのカレーを出すはずだというのは私の思いこみだったようだ。

いずれにせよ、あの鳥羽で食べたカレーを超えるインパクトをもたらすカレーはもはや二度と現れないだろう。究極のカレー、そう呼ぶ事に私は何らためらいを覚えない。そして至高のカレーに出会わなかっただけでも私は十分に幸せだ。