音程認識能力またはその欠如

ピ アニスト上原ひろみさんは演奏がうまいだけでなく作曲の才能もあり、さらに加えて文章もうまい。文学的技巧がどうこう以前に読んでて面白い。個人的には故 オスカー・ピーターソンの自宅に招かれた時のエピソードが印象に残っている。オスカーは自宅にやってきた上原さんの前でコップを叩き「これは何の音か」と きいたという。上原さんが答えた音が合ってたらしく二人は意気投合するというストーリーだった。

これはもはや超絶的音程認識能力としか言いようがない。何故なら私も音程認識ソフトをいくつか持っているが、そうしたソフトが使用しているアルゴリズムでは何ら「コップの音」の音程を示すことができないからだ。

私 は音楽教育を全く受けたことがない。公立の小中高での音楽の授業、これが全てである。当然ながら音程認識能力も極めて乏しい。だが個人的に尊敬する作曲家 アントニオ・カルロス・ジョビンが大変な音痴だったのも事実であり、果たして音程認識能力の高さ=演奏能力の高さとしても音程認識能力の高さ=音楽性の高 さ(ここでは創造性とか独創性を想定している)なのか、疑問に思う。

ところで上のエピソードに私は別の大きな疑問をもった。もし本当のノイズ、乱数を発生させて作った波形の周期性が全くない音に音程を感じるなら、それは感じるほうが明らかに異常ではないだろうか?そこでwikiを参照するとすでに答えが書かれていた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%BD%E9%9F%B3

引用
楽音と噪音の間に明確な境界はない。楽器の美しい音色でも倍音以外の上音を多少含んでいことがあるし、倍音の波数は完全な整数倍ではない。逆に噪音でも多少の周期性がみられる場合が多い。  
引用終了

要 するにコップを叩いた音に音程があるわけないという自分の考えがすでに間違っていたわけだ。乱暴な言い方をすればピンク・ノイズやホワイト・ノイズのよう に人工的に作った音で無い限り、自然界の全ての音には多少の音程はあるのだろう。実際に自然界の大きな現象には周期性がある。朝、太陽が昇り、夜沈む。 夜、太陽が上がるということは滅多にない。潮流、風、波、これら全てに規則性がある以上、全ての自然音に音程はあると考える方が自然な気がする。

新興宗教じみてきたので取りあえず終了して考え直してみようw