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ちょっとバブルなフルート奏者
これから書く話は事実だが恐らく多くのかたがバブリーだと違和感を感じるだろう。だが実際にあった話だしチェットに関する情報提供にもなるので書いてみよう。
チェッ
ト・ベーカーが"At
Capolinea"というアルバムを1983年に出した。最初はまったく聞いたことのないレーベルから限定盤として発売された。その後、Red
Recordというやはりまったく聞いたことのないレーベルから再発された。ここでのチェットは非常にブラジル色が強い演奏をしていた。そしてニコラ・ス
ティロというフルート奏者がそうしたブラジル的な部分を担当していた。周囲のジャズ・ファンに聞いてもニコラ・スティロというフルート奏者が何者なのか知
らなかった。というか名前すら知らなかった。ボサノバは雰囲気はいいがアドリブが退屈とずっと感じていた私はこのアルバムを聴いて自分が理想と考えるジャ
ズ・ボサにやっと出会ったように感じた。下のサイトで曲の頭の部分は聴ける。
http://www.emusic.com/album/Chet-Baker-Nicola-Baker-Nicola-Stilo- Diane-Varv-Chet-Baker-At-Capolinea-MP3-Download/11219243.html
記
憶がはっきりしないのだが1985−6年(?)のある日の深夜、私はニコラ・スティロに電話をかけて話を聞きたいという強い衝動を感じた。レッド・レコー
ドに電話をかけると簡単にニコラ・スティロの電話番号を教えてくれた。さすがに、いきなり電話をかけて良いのかためらわれた。だがチェット・ベーカーに電
話をかけるのは非常識だろうが、チェットのセッション・メンバーに電話をかけるくらい良いだろうと考え、電話をかけると彼のおかあさんと覚しき人が出て
「ニコラは今、家にいない」と言う。この人は親切にも別の電話番号を教えてくれた。そこにかけてみると出たのは若い女性だった。どうもニコラ・スティロの
ガール・フレンドらしい。私がニコラ・スティロと話をしたいというとちょうど家にいたらしく、すぐに電話に出た。
私がAt
Capolineaを聴いたが素晴らしいソロだった、特にブラジル的センスに感心したと言うとニコラは、わかった日本でのライブはずっとやりたいと思って
いたと返事をした。ジャズマンというのはどこでも同じだなと私は思った。何故ならコンゴの首都キンシャサに音楽を聴きにいった時に偶然、立ち寄ったビア
ホールで演奏していたジャズギター・トリオが良かったので演奏がすんだ後にテーブルに呼んだらやはり開口一番、おまえは日本の音楽プロデューサーか、日本
でのライブは可能かと聞かれたからだ。
私が残念ながら音楽関係者ではないからライブの手配はできない、ただAt
Capolineaでのオマエのフルート・ソロでのブラジル感覚に感心したから話を聞きたいだけなんだというとさすがにガッカリしたようだ。だが遙か極東
の地からわざわざ電話をかけてくるくらいだからきっとオレの音楽が本当に好きなんだろうと考えたのかあるいは何かのインタビューと勘違いしたのか自分の経
歴を語ってくれた。ちなみに彼はかなり英語ができた。
オレの音楽がブラジル的だって、当たり前さ、だってオレは一年間リオにすんで現地の
ミュージシャンと共演したんだ、あのエルメート・パスコアールとも演ったことがある、オマエはエルメートを知ってるかとニコラは言った。まさかイタリア人
フルート奏者がエルメート・パスコアールの名前を出すとは予想してなかった私は非常に驚いたが、私はエルメートのファンでもあったのでグレートなミュージ
シャンだと述べ、オマエのフルート・スタイルはエルメートに影響されてるのかと聞くとニコラは口を濁してハッキリ返事をしなかったような記憶がある。ニコ
ラはさらにイタリアに戻って自分のグループを立ち上げた時もメンバーにブラジル人メンバーを入れたと述べた。このブラジル人が誰なのかはわからない。
ど
うしてチェットと一緒に演るようになったんだと質問をしたが、私の英語がおかしかったのかニコラは全然関係ない話を始めた。チェットとオレは二人きりで何
時間でも一緒に演奏する、オレ達はそれくらい相性がいいと言いはじめたのだ。しかしオマエはフルート奏者でチェットはペットしか吹かない、コード楽器なし
でセッションがやれるのかと聞くと理由は不明だがニコラは急に不機嫌になり、オレはフルートだけの演奏者じゃない、ギターもピアノも演奏できるんだと言っ
た。さすがに国際電話の料金が気になった私は「日本でコンサートがひらけるよう全力をつくすよ、ともかく素晴らしい音楽だった」と言って電話を切った。
1ヶ月後に5万円くらいの請求書が国際電信電話から届いた。この請求書を見た時、さすがに自分のアホさ加減に驚きあきれたが踏み倒すわけにもいかずあきらめて払った。どのみち銀行口座引き落としだったが。この頃はニコラ・スティロのフルート演奏がそれほど好きだったのだ。
と
ころが1988年5月のチェットの突然死に気落ちしたのかその後のニコラはブラジル人ギタリスト、トニーニョ・オルタと2枚アルバムを作ったくらいしかめ
ぼしい活動が無い。チェットの突然死が無ければ、またAt
Capolineaのようなフルート吹きまくりのアルバムを出してたかもしれないのに残念な話だ。 | |