何のために拍子があるのか?

今日(2009.01.13)、「キンシャサにふる雨」という曲をアップした。この曲は4/4として最初は作っていたのだが、今聴き直すと4/4と5/4の中間のどこかにあるように聞こえる。4/4としておさまらず随所でフレーズが溢れているいるようにきこえるのだ。

実 際にキューバ出身のドラマー、オラシオ・エルナンデスは「ルンバは4/4と5/4の間にある」と述べている。最初、このオラシオの発言をきいた時は頭がお かしくなったのかと思ったが、実際に自分がルンバ(ソン、チャチャチャ、マンボなど)を演奏している時、4/4のようにきちんと割り切れる形でビートを感 じていない。そう感じていては演奏ができないのだ。

同様な事はサンバにも言えて、ブラジル音楽にうるさい人たちは「**はこのサンバ曲を 4/4で解釈して演奏しているためにブラジル的に響かない。サンバは2/2でなければならない」という「批評」をここ20年くらい繰り返してきた訳だが、 何故3.85/4拍子あるいは1.95/2拍子ではいけないのだろうか?一体、誰が楽曲は4/4とか3/4のようにきれいに割り切れる音楽だと決めたのだ ろうかか?アメリカ政府か?EUか?国際標準化機構か?グーグルか?

そういう風にきれいに割り切る事で楽譜にしやすくなるのは確かだが、楽譜にするために本来の音楽が持つリズムを単純化するのは本末転倒だろう。

昔、 別のサイトを持っていた時、アフリカの音楽にはビートは1つしかないと書いたら、あちこちのサイトから拍はちゃんと4つあるだろうという批判・反論を受け た。だが、その時から数年たった今でも、やはりアフリカ音楽にはビートは1つしかない、つまり1/1としか聞こえない。大体、日本で最初にアフリカ音楽に はビートは1つしかないと主張されたのは渡辺貞夫さんなんだが・・・

私が間違っているなら別にそれでかまわない。音楽教育を全く受けてないただの音楽ファンにしか過ぎないのだから。だがきちんと音楽教育を受けた人たちが私が納得できる形で上に挙げたような疑問に答えてくれないのも事実だ。

一体、誰が嘘をついてるのだろう?私やオラシオか、それとも「音楽教育を受けた正統派識者」か・・・