ボサノバの元祖チェット・ベーカー

もう亡くられて久しいが大島守という音楽評論家がおられた。ブラジル音楽事情に恐ろしく詳しかった。昔は今ほどブラジル関連の情報が入手できなかったこともあり大島さんの文章を雑誌で読むのは非常に楽しみだった。

大 昔、アントニオ・カルロス・ジョビンにインタビューされた時の話を書かれていたが、ジョビンは初対面の大島さんに「おまえの国のピアノはなかなか良い、オ ***よりずっと良い」というジョークから始まり、インタビューが終わるまで下品な下ネタジョーク(ブラジルではピアーダという)を連発されたという。あ まり語られることのないジョビンの一面だが、本当にヤマハやカワイのピアノがオ***よりずっと良いのかは現在でも明らかではない。今後の研究発表が待た れるところだ。

ご本人はブラジル音楽評論家と呼ばれるのを嫌い、「オレはサンバ評論家だ」と言われていたのを思い出す。大島さんの考えで はボサノバはサンバの一種にすぎないらしい。だがボサノバに対し辛口の発言もたくさんあった。そのひとつにボサノバの創始者と一般には考えられているジョ アン・ジルベルトに関するものがあった。これが非常に面白いので紹介かたがた自分の考えも付け加えてみよう。

ブラジル音楽ファンには広く 知られているがジョアン・ジルベルトは元々はオペラ歌手のように朗々と歌っていた。ところがリオを離れ田舎の親戚宅に居候をしながら様々なボーカル・スタ イルを試したらしい。特にお風呂場の残響が気に入ったらしく朝から晩までお風呂場でギターを弾きながら歌ったため親戚の人が正気を疑ったというのは有名な 話でボサノバ歌手によくある奇行の典型的例として知られている。ところで大島さんはジョアンが自分独自のボーカル・スタイルを生み出す過程においてチェッ ト・ベーカーの影響があったのではないかと主張された。今、調べてみたら確かにチェットのほうが早い。

Chet Baker sings (1953) (Pacific) (歌手としてのチェット・ベーカーの初期代表作)
Chega de Saudade (1959, LP) (ボサノバ歌手としてのジョアン・ジルベルトのデビュー作)

二 人の歌い方に共通しているのはビブラートをかけず、ロング・トーンでの音程を正確にキープし、声量を落とし、音圧を一定に保つところだろう。違いは何かと いうとチェットにはジョアンのようなバチーダ(ビート)が無かった。ジョアンの場合はギターを弾きながら歌うために正確な比較は難しいが両者の歌い方にか なりの共通点があるのは事実だと思う。大島さんはこの点を指摘された訳だ。チェットからの影響があろうとなかろうとボサノバ・ファンにとって重要なのはバ チーダのほうだから別にジョアンの価値が落ちる訳では無いがジョアンとチェットの歌い方が似ているというのを指摘されたのは大島さんが最初だった。

と ころでマイルス・デービスがトランペットにハーモン・ミュートという弱音器をつけて録音した最初の曲が1954年のソラーという曲らしい。つまりチェット が歌い出した頃、マイルスは例のチーという自分のサウンドを確立した。ところでハーモン・ミュートをつけたマイルスの演奏は当然ながら音量が落ち、ボーカ ルで言えばささやくあるいは呟くようなものになった訳だ。

ほぼ同時期に二人のトランペット奏者が「ささやき呟くスタイル」を確立したと言 うのも面白い話だ。そしてひょっとするとジョアンに影響を与えたのはチェットではなくマイルスのスタイルだったのかも知れない。つまりハーモン・ミュート をつけたトランペットの音をボーカルで再現しようとした結果としていわゆるボサノバ唱法が生まれた可能性もある。

こういう話を書いても私も含め誰も証明できないところが悲しいが、いずれにせよ大島守さんが素晴らしい洞察力を持った音楽評論家だったのは誰も否定できないだろう。