嗚呼、IMF

私は 大学で経済学を専攻したのだが教官の一人が元IMF研究員だった。指導教官とかゼミの先生ではなくただ単位をいただいた、それだけの人なのだが、この人は 中々面白い人だった。外見はサザエさんに出てくる波平ソックリで冴えない。講義が先鋭的かというとそうでもなく、円安と円高をしょっちゅう間違えては学生 に笑われていた。だが時々、何かの発作をおこし、黒板(正確にはホワイトボード)にアラビア語を書きコーランの一節かタルムードのようなものを読み上げ た。

実は黒板に書かれたのはアラビア語ではなく貿易均衡の為の微分方程式であり、コーランのように聞こえたのはテイラー定理の説明だった (と思う)。実は今もよくわからないのだ。だが学生の誰も先生の最先端の経済学(数理経済学という)についてこれないことをすぐに悟り、悲しい表情を浮か べながら黒板に書かれた「アラビア語」を消していったのを思い出す。理由は不明だが、私はこの先生の授業が好きで全部出席し、良い成績で単位をいただい た。

話は変わり、一年後私は東京で途方にくれていた。全国紙、まあハッキリ書いてしまうと朝日新聞なのだが、に就職できたのは良いが、人 事が東京周辺に住んでる人を保証人として出すように要請し書類を私に渡したからだ。うーむ、一体誰に保証人になってもらおうかと考えているうちに上に書い たIMF上がりの教官がちょうどタイミングをあわせたように関東の大学に移ったことを思い出した。どうも、この人はリクルーターだったようで各地の大学を 転々としIMFに相応しい人材をリクルートしていたように思える。

先生の新しい勤務先の研究室に電話すると、すぐに話をすることが出来 た。先生はとりあえず就職決定おめでとうと言われ、快く保証人になることを引き受けてくださった。先生は東京のある喫茶店を指定され、そこで保証人のサイ ンをしてやると言われた。トントン拍子で話は進んだのだが、喫茶店でトラブルがおきた。

まず先生は「キミが本当にボクの授業を受けたか チェックする」と言われ、いくつか授業のなかで解説されたことを質問された。これは答えることができた。先生は「ウム、良いだろう」と言われ保証人の書類 を出すように言われた。同時に「ところでキミ、何処に就職するの」と聞かれた。私はそれまで就職先を言わなかったのだ。私が朝日新聞社ですと言うと、先生 はにわかに厳しい表情を浮かべた。「朝日?どうして嘘ばかり書くデタラメな新聞に就職するのか、サンケイにしなさい、サンケイに!」と先生は語気も荒く言 われるのだ。

朝日のどういう点が不味いんですかと聞くと中国報道がデタラメだと述べ、メディア批判を始められた。この点は実は私も同様に 考えていたのだが。そこで私は先生に事情を説明することにした。兄が第1級精神障害者でありマスコミも含め40社以上、受けたが1つも採用してくれなかっ た。朝日新聞での職も、1月の終わり頃、たまたま大学で営業職の追加募集をしていることを知り、2月の初旬に試験と面接を受け、2月の最終日に採用の電話 をもらったこと、従って朝日を辞退すると無職になる可能性が高いこと、広告の仕事なので記事を書くことはないなどの個人的事情を話した。さすがに不憫に思 われたのか、先生は渋々、保証人書類にサインをしてくださったのだった。

という訳で私はIMFのおかげで無事に職を得ることができたの だった。これは専門用語ではIMF救済措置と呼ばれる(という噂がある)。だが追加募集とはいえ、朝日での職を得るための競争率はちょうど千倍だったから 意外に思ったのも確かだ。これは人事の人が何人の応募があり何人採用されたかを研修で話され知った。そして競争率に相応しいサラリーをいただいのは確か だった。とりあえず今回はこれで終わりにしよう。