こうして記事は消されてゆく

も う亡くなられて久しいが作家の開高健というかたがおられた。実は仕事の関係で一緒に食事をすることも可能な機会もあったのだが、当時の私は文学そのものに 興味を失っており、また自分の通常業務が入っていたので、この会食に出なかった。出た人はみなグルメとしての開高さんの知識、広い見識を賞賛したから私も 後になって参加しとけば良かったと思ったものだ。

開高さんはサントリーと関係が深かった。これは開高さん自身がサントリーの前身である寿 屋の広報をしていた事、そして当時の社長佐治敬三氏との交遊関係があったからだと思う。サントリーのCMにも出ていた。サントリーはオーパという開高さん の一連の冒険シリーズを金銭的に支えていた、そしてオーパと言うシリーズは良い企画だった。私もオーパは楽しんで読んだし、こうした企画を金銭的に支援す るサントリーという企業の懐の深さに感心したくらいだ。

ある日の夕方、7時頃だったと思うが電通の営業が駆け込んできた。何を勘違いした のか私にサントリーに関する「ある記事」を絶対載せないでくれと彼は頼んだ。要するに記事のもみ消しである。こいつは新米で何も知らないなと判断した私は 彼に「そう言った事は広告局長にまず話をするんだ。そうすると広告局長が編集局長と交渉し、その結果次第で記事になるかならないかが決まる。オレに言われ ても何の権限もない」と告げた。よっぽど切実だったらしく彼は私に短く礼を述べすぐに局長室に向かった。電通のヒラの営業でも新聞社の広告局長に会い話を するくらいは簡単にできた。広告業界での電通の存在というのは、それほど大きかったのだ。

次の日、出社した私は全ての全国紙と共同通信の 記事をチェックしたが「その事件」を記事にした新聞や通信社は1つも無かった。電通は恐ろしいほどの影響力を持っていた、その事に私は少し不快感を覚え た。その1−2ヶ月後に「噂の真相」という雑誌がもみ消された記事の内容を紹介したが、この雑誌以外の活字メディアは沈黙を守った。

事件 自体は、開高健さんが自ら出たサントリーCMのアメリカ西海岸でのロケ撮影中に、電通の制作の一人が列車から転落死した、それだけの簡単なものだった。だ が、そのようなマイナーな事件ですら簡単にもみ消されていく日本社会というのは一体、どういう闇社会なのだろうかと私は深く考え込んだのだった。そして未 だに誰もこの事件のことを語ろうとしない。電通出身の作家やジャーナリストはたくさんいる。中には直木賞作家もいる。当然、彼らはそうした「実態」を知っ ている。だが頑なに口を閉ざし触れようとしない。逆に言えば、触れないから作家やジャーナリストとして生活できるのだろう。

今、振り返るとこの頃から日本の新聞やTVと言った巨大メディアは急速に劣化していったように思う。いや、その前に毎日新聞の最初の経営危機があり、それが本当の契機だったと多くの人が言う。だが幸か不幸かその部分は良く知らないので私は書かない。

ありふれた言い回しだが、知らないほうがかえって幸せというのは真実だ。