デジャ・ビュー(既視感)あるいはその正当性

最近、私は動画サイトで日本人演奏家の動画をよく見ている。1つは山崎まさよしさんのものでありもう1つは小野リサさんだ。だが彼らの動画を見ている内に、何かデジャ・ビュー(既視感)を感じたのだった。

山 崎さんに関して言えばすぐにわかった。彼は山口県の徳山から防府あたりの地域の出身なのだが10年くらい前に防府に仕事ででかけた私は次の仕事まで数時間 の空きがあることに気がついた。当時の私はドラム・スティックを常にバッグに入れていた。私は防府駅前の適当な安い練習スタジオに入り、ドラムの練習をす ることにした。スタジオの中に入りドラムのスローン(椅子)の調整などをしているとお店の人が入ってきて言った。「山崎まさよしはご存知でしょう?彼が 10代の時、そのドラムをよく叩いて練習したんです」とお店の人は言った。その頃の山崎まさよしさんはメジャーな存在にまで成ってなかったが、私は彼の音 楽をそれなりに聴いていた。ロバート・ジョンソンなどの初期ブルーズ演奏家を意識した彼の歌と演奏には「感じる」ものがあったのだ。と言うわけで私はまさ やんと同じドラムで練習をすることができた。だから、どうという訳ではないが親近感を持ったのは確かだ。実際に山崎さんに会い話をしたことはないのだが。

小 野リサさんは本当に会い、話をしたことがある。もう何年前か忘れたが、たまたま大阪に出張に行き夜、寝るまでに数時間の空きがあることに気がついた私は何 かライブを聴くことにした。タウン情報雑誌を見ていると丁度、小野リサさんのライブが梅田であった。私はこのライブを見た。正直、音楽そのものは印象に残 らなかった。だが前半と後半の間に客席を回り挨拶をしていたのには感心した。彼女は「今日も来てくれてありがとう」という言葉をテーブルを回りながら交わ していた。この当時の小野リサさんはただのアマチュアでありプロ・デビューしたのは2年後だが、私は自分のライブに来てくれるお客の顔を覚え挨拶するとい う彼女のプロ根性に感心したのだ。私はその時がライブ初回だったので小野さんはただ「ありがとう」と言い軽いお辞儀をした。

その2年後に プロ・デビューされ、その後も確実な足跡を残されてきた。今、動画サイト、はっきり言うとYouTubeなのだが、そこでの比較的新しい映像を見る時、彼 女はアマチュアだった時とそれほど変わりがない音楽と演奏を今でも続けられているようだ。それはきっと素晴らしいことなのだろう。

もう20年以上、経っているのだが彼女が昔の記憶通りに歌い演奏されていることにある種の感慨を覚えたのは確かだ。継続は力なり、そうした言葉を思い出す。