昭和天皇ご崩御、そしてマスコミ談合体質 パート1

私 が新聞社で働くようになって呆れたことの1つに彼らの談合体質がある。例えば、都市部の朝刊が刷り始められるのは夜の11時すぎくらいだが、その最初に刷 り上がった新聞を交換していた。それは何のためかと言えば特オチ(特ダネの反対、他社が重要な事項として報道していることを自社が報道しないこと)を防ぐ ためだった。これでは、どの新聞を読んでも同じような内容になるはずだ。ごく希に交換が中止されることがあった。それはどこかの新聞社が独自ネタを隠そう としていることを意味した。だが、その部分にも「談合体質」が生きていた。具体的には朝刊持ち出し禁止と言うのだが、そうした事態になった場合、他社は主 として印刷局員経由で朝刊を入手していた。露骨に言えば金で秘密扱い情報を買っていた。だが印刷局経由で情報を入手しても、その報道内容の裏を取ることは 難しく、結局他社は小さくその内容を「裏の取れない情報」という形で記事にすることで特オチを防いでいた。いずれにせよ、こうした馬鹿げたことをやってる のは世界でも日本の新聞社だけだろう。

他方で4社会議、あるいは5社会議なるものがあった。これは何かというと「重要な事柄」に関する扱 いに関して朝日、毎日、読売、サンケイ、時として日経の編集局長が会合を持ち、意見の共有をすると言うものだった。私が朝日新聞社社員であった頃は、この 4社会議の決定にTV局も従った。これは明確に独占禁止法違反であり、談合である。一体、どこの独裁国家あるいは共産主義国家か?政府は何故、こうした情 報の独占および世論操作にメスを入れなかったのかと言うと、結局、内部告発者がいなかったためだ。オマエがやればいいと言われるかも知れないが、私はそう した「高度なレベルでの話し合い」に出るような役職にはなく、4社会議の内容ですら、社内の噂で確認していた。つまり私が内部告発したくても出来なかっ た。

ここまでが背景説明である。そして今から私が書こうとしていることは昭和天皇ご崩御に関する「メディア談合」である。可能な限り、憶測を排し自分が思い出せる範囲で正確に記述したいと思う。固有名詞や人名、役職も明確に書くつもりだ。

本 題に入る前に自分のスタンスを明確にしておく。私は皇室に対し、特別な感情は全く持っていない。平均的日本人レベルの敬意は持つが、皇室ニュースには何ら 興味が無かったし今も無い。リベラルなアメリカ人と議論をしていると「何故、日本は皇室を廃止しないのか」と時々、聞かれる。私は「皇室は日本という国、 伝統、歴史の一部であり廃止する理由がないから廃止しないのだ」といつも答える。その程度には皇室に敬意を払っている。

私の日本に対する 素朴な一体感や愛着というのは皇室とは無関係で、むしろ伊勢神宮と関係している。伊勢神宮はそこそこの広告予算を持つ広告主であり、私は仕事の関係で20 回くらい行ったと思う。五十鈴川を渡り、神宮の中に入っていく時の独特な静謐感、心のやすらぎ、魂のレベルでの共感は他では得られないものがあった。この 点に関して言えば、小泉氏が首相だった時、元旦に伊勢神宮に参拝していたのは個人的に大きく共感できる。

私は伊勢神宮の事務局にいき事務局長と何回も話をしたのだが、この人はとても穏やかな人だった。専門は鮫の研究家だったらしいのだが、実は私も日本の歴史のなかでの魚介類に興味を持っていたため時として話が盛り上がった。

例 えば、鮫の皮膚をはいで紙ヤスリの代わりにつかった事、ニベという魚の内蔵から取り出した物質を接着剤として使用したことから「ニベもない」という慣用表 現が生まれたこと、ニシという貝からとった紫色の物質が染料として使用されたことなどを話すと、喜ばれて話が盛り上がった。広告出稿が増えるということは 決して無かったのだが・・・・ いずれにせよ私と皇室および神道との関わりはこの程度であり、日本国民として許せぬと思われるかたもおられるかも知れない が、そう言われても自分の考えを変えるつもりは微塵もない。

ここまでがイントロであり背景説明である。パート2以降で、昭和天皇ご崩御に関する若干「危ない部分」を書いてみたい。続く。