マイケル・ジャクソンと携帯電話

これを書いてるのは2009年6月27日だが25日にマイケル・ジャクソンが突然、死んだ。

ネッ トで記事を読んだ私は「えっ、あのマイケルがそんな事態に」と呟いたが、その自分の言葉が虚ろに響き何ら実感をともなっていないことに気がついた。何故だ ろう、マイケル・ジャクソンと言えば多くのヒット曲とムーン・ウォークなどの踊りで世界的に知られているではないか?何故だ?じっくり考えるうちに私は ジャクソン氏の曲をひとつも思い出せないことに気がついた。さらに考えてみると、彼がやってた音楽がポップなのかR&Bなのかファンクなのか、そ れすらわからないのだった。

私はコンゴ音楽ファンだから別にアメリカ黒人音楽を知らなくても良い。だが、ジャクソン氏に関してはどこかで 聴いたような記憶がする。その内に思い出したのだが、私が1980年代にコンゴの首都キンシャサに音楽を聴きにいった時に現地で流行っており、そこで聴い たのだった。

コンゴに行く前、私はコンゴ人はコンゴ音楽しか聴かないし演奏しないと思っていたが、これは大変な勘違いだった。例えば、ミ ンゾト・ウェラ・ウェラ(現地の言葉リンガラ語で星の踊りを意味する)というグループのライブを聴きにいった時のことだ。最初に出てきたのはミンゾトのギ タリスト、ソロゾを中心とするグループ(グラン・ミンゾトと呼ばれる)だったが、彼らはコンゴ音楽は全く演奏せずマイケル・ジャクソン・メドレーとかサン タナや高中正義的なギター曲を延々と演奏した。

高中はどうか知らないが、マイケル・ジャクソンとサンタナはキンシャサでも人気があった。 別の場所ではジョージ・ベンソンそっくりに歌い演奏するジャズ・ギター奏者がいた。さらにあきれたことに白人ハード・バップのギタリスト、タル・ファーロ ウそっくりに演奏する人までいた。タル・ファーロウはジャズ・オタクが多い日本ですら知る人ぞ知る存在だった訳で、まさかキンシャサでタル・ファーロウ そっくりさんに出会うとは思わなかった私は非常に驚いた。

そうしたジャズやポップスに限らず、レゲエはほとんどのコンゴのバンドが演奏し ていたし、ラップやヒップ・ホップ、ゴスペル、サンバなどほとんどありとあらゆる音楽が聴けた。こう書くと、オマエはキンシャサで演歌を聴いたのかと皮肉 を言う人がいるかも知れないが、美空ひばりの「りんご追分」がアフリカ全土で流行った時代というのは本当にあった。私は知らないが、エチオピアのラジオ局 では定期的にかかっていたそうだ。

この頃のコンゴ(当時はザイールと言った)は独裁者モブトゥ、貧困と腐敗、エイズを始めとする様々な病気があったが、国の雰囲気は明るく、音楽も活気があった。コンゴ音楽の全盛期に現地にいき、生の音楽を聴くことができたのは本当にラッキーだった。

だ が90年代終わりにかけてコンゴは内戦に入っていく。その理由の1つは携帯電話の普及だ。携帯電話にかかせない希少金属タンタル(タルタンともいう)がコ ンゴ東部に偏在しており、そこの領有を巡り複数の国が関与する戦争がおき、結果として推定500万人以上のコンゴ人が死んだとされている。

この重苦しい事実はコンゴ音楽ファンである私にとり大変な精神的苦痛であり、私は当時それなりに認知されグーグルのディレクトリーにも登録されていた音楽サイトを閉鎖した。

マ イケル・ジャクソンの話で始めながらコンゴ音楽のことばかりを書いたが、実際私に関するかぎり、その部分でしか思い出がない以上、書きようがない。そして 私はこれまで一度も携帯電話の契約をしたことがない。これはFTTH120メガ、IP電話と「進んだ環境」で生活する者にしてはおかしな話で、実際これ故 に何回も時代遅れの変人扱いされたのだが、恐らく私は死ぬまで携帯電話の契約をすることがないだろう。

一寸の虫にも五分の魂、私には私の意地があるのだ。