不思議なうなぎ・パイ

こ れまで何回か書いたように私はジャズ・ピアニスト上原ひろみさんを応援している。この人のブログもずっと読んでいる。先月のパリのコンサートでは、あまり に激しい演奏のため(?)キーボード・スタンドが崩れ落ちたらしい。ところが上原さんは、床に落ちたシンセでソロを続けたようだ。写真を見る限り、そうと しか見えない。すごい根性だ。実際、上原さんが世界中を安いギャラで飛び回り、あ、いやその、世界中のファンの応援に応えるために献身的にコンサートを開 いている姿は感動的ですらある(汗。

その上原さんのブログの昔のエントリーに浜松名物うなぎパイの話があった。上原さんは浜松出身であり、ちょうどこの頃結婚されたのだが、地元ファンのかたが送られたのだ。うなぎ・パイか、そう言えば昔関わったことがあったなと思い出したので書いてみよう。

当時、私は新聞社の広告審査にいた。だが新潮社の広告に難癖をつけ、黒く塗りつぶすような華麗な仕事は全て東京に集中しており、ひたすら名古屋と東海地方ローカルの広告をチェックするのが仕事だった。

あ る日、私は「夜のお菓子、うなぎパイ」と書かれた広告原稿をチェックすることになった。夜のお菓子、うなぎパイ?私はゴルゴ13のように眼を細めた。何 か、犯罪の臭いが感じられたのだ。私は目の前にある電話を取り浜電に電話をした。浜電というのはちかくの鰻屋さんではなく、電通浜松支局のことなのだが、 あまりに長いので我々は浜電と呼んでいた。電話に出たのは若い女性だった。「捜査2課の田所だが」、私は押し殺したような声を上げようとしたが、実際のと ころ広告の新米であり、そんなハッタリをかます余裕はなかった。

意外なことにこの若い女性は浜電の支局長だった。私は、夜のお菓子うなぎ パイとは一体、何かね、簡潔に説明したまえと言ったのだが、この支局長は私を全く相手にせず、「この広告はずっと昔から載せており何の問題もありません」 とだけ答えガシャと切ってしまった。私が憮然とした表情をしていると、私の電話でのやりとりを聴いていた周りの職場の先輩が笑いながら説明をしてくれた。 その説明によると、うなぎパイというのは乾燥させたうなぎを粉にしてパイ生地に入れ焼き込んだ浜松名産のお菓子で、何ら害は無く、ナイト・ライフを充実さ せるという定評があるそうだ。

しかしである、うなぎを乾燥させ粉にしたものをパイに焼き込むことは確かに違法では無いかも知れないが、何 か人の道に外れているような気がする。ネズミは忠(ちゅう)と鳴き、カラスは考(こう)と鳴く、動物ですら身の程をわきまえているのに、うなぎをパイに焼 き込み、さらに充実したナイト・ライフなどと謳ってよいものだろうか?

わたいもな、四国からお店に奉公にきて早や20年、丁稚からたたきあげて今や番頭はん、番頭はんと呼ばれるようになったが、こないなけったいな事は聞いたことおまへん、え、うなぎ・パイでっせ、うなぎ・パイ!あきんどがこないなけったいな物、扱えまへん。

そうした感想すら浮かぶのだった。

この後、出張で浜電に何回か行ったが、浜松というのはなかなかモダンな都市であり、浜電も結構、良い建物に入っていた。そして、そのモダン都市浜松の名物が何故か夜のお菓子、うなぎパイなのだ。

だ が、全ての電通地方支局がそうしたモダンな環境にある訳ではなかった。伊勢に広告募集に行った時に、電通伊勢支局を夕方、訪問した。そうすると半分くらい の人はすでに帰り支度をしており、中にはリールの手入れをしている人もいた。電通伊勢支局は海に近いのだ。私も海と釣りは好きであり、「一体、何が釣れる んですか」と聞くと、この人は物腰の柔らかい人で「一緒にこれから釣りにいかへんか?リールはオレのを貸したるさかい」と伊勢弁で答えた。残念なことに次 の日、定時に出社しなければならず、近鉄特急の関係で断らざるをえなかった。

この人は何回か一緒に広告募集で三重を回ったことがあるが、 自分が出世街道から外れたことに安住しており、仕事は仕事、趣味は趣味で楽しむというスタイルを持った飄々とした人だった。私は電通という会社の体質その ものが嫌いなのだが、この人のスタイルなら働きたかった、今でも時々そう思うのだ。