海の見える喫茶店、そして幻想からさめる時

昔、 カモメがやたらと流行った時期があった。書籍で言えばカモメのジョナサン、音楽で言えばチック・コリア&RTFのジャケット写真がそうだ。ただカモメの見 える風景というのは別に特別なものではなかった。サンフランシスコに行った時にフィシャーマンズ・ウォーフという海沿いのレストランや雑貨街を歩いた時も 普通に、岸壁の周りをカモメが舞っていた。つまりサンフランシスコに限るとカモメが飛び交う情景というのは日常の情景であり、それが書籍やLPジャケット に反映されただけだったように思える。

だがカモメの舞う風景など私が住んでいる地域でも普通に見ることができる。一時期通った家から数キ ロのところにある喫茶店もそうした風景を売り物にしていた。このお店は海に沿った道路の端に海にせり出す形で建てられていた。中はただのマンガ喫茶なのだ が、喫茶店の店長がトーストなどの余ったミミを窓から撒いているうちにカモメが「定住」したらしく、いつ行っても窓の外をカモメが飛んでいた。たまに店長 が、たまったパン屑をまとめて海に投げるとカモメの群れはギャーと大きく鳴き、羽がバタバタと窓ガラスにぶつかった。それは何かヒッチコックの映画の1 シーンを見るようであった。

このお店が建っている道をさらに奥まで進むと、まるでリゾート・ホテルかと見間違うような芝生と海をのぞむ美 しい景観をほこる建物があった。最初、私はどこかの富豪の邸宅かと勘違いしたくらいだが、実はここは病院だった。元々は結核患者の療養所として作られたら しいのだが、結核患者の減少に伴い、この病院も一般病院になったようだ。だが、さすがに元結核患者の療養所だっただけあって空気はきれいで、芝生は青く、 海をのぞむ眺望も素晴らしい、私は1ヶ月くらい入院したいくらいだった。入院しベッドの上から海を見下ろしながらナイロン・ギターでボサノバ弾き語りをや ろうなどと意味不明な夢想をしたものだ。なお私は生まれてから一度も入院したことがない。入院が必要な病気にも怪我にもあわなかったからだ。盲腸すらなっ ていない。あんまり書くと病気がちの人から怒られるので止めるが。

もう2年くらい前だろうか、母親がまだボケる前に知人のお見舞いでこの 病院に行ったらしい。母親も病室からの眺望の良さを褒めちぎったが、話を聞いているうちに私は若干、青ざめてきた。何故かというと、この病院は結核の治療 所を止めた後、重症患者、特に末期ガン患者用の療養所、つまりホスピスになったのだという。母親の話だと、ある人が末期ガンになり、家族が最後は良い環境 で送りたいと考え、通常の病院より高いこの病院の特別に眺望の良い部屋を選んだらしい。母はそこを訪れた訳だ。そして、その患者さんはまもなく亡くられた から、そう高い出費にもならなかったようだ。結果として有意義な贅沢となった。だが私が考えたようなベッドでボサノバ曲をギターで弾くような場所では全く なかった。うーむ、私はこの話をどう解釈したらよいかわからずひたすら唸った。

こうして人生から夢と幻想がはげ落ちていき、冷たい現実だ けが残っていく。歳をとるというのはきっとそういうことなんだろう。いや私、個人に限らず、ここ20年というのは日本という国にとっても夢と幻想がはげ落 ちていき、冷たい現実だけが残った時のような気がする。だが、そういう気がするのはきっとアルコールが足りないからだろう、いやそうに違いない、アルコー ルは飲まなければいけない、何故ならそれは憲法に定められた国民の義務だからだ(違ったかなw)。私は部屋においてあるワイン瓶に少しうつろな視線を投げ たのだった。