貧困は滝のように流れる

90 年代、リオ・デ・ジャネイロ(ブラジルの旧首都)に行った時のことだ。いきなり話がそれるが、朝日新聞などは胡錦涛中国国家主席をフー・ジンタオと読ませ ている。何故、そうしているかの理由は不明だが、できるだけ現地の発音に近づけようということならリオ・デ・ジャネイロもヒウ・ジ・ジャネイルと読むべき だし、大統領もルーラ・ダ・シルバではなくルーラ・ダ・シウヴァと読むべきだろう。何故、胡錦涛だけフージンタオと読ませるのか?朝日新聞はブラジルを始 めとした南米諸国を貶めたいのだろうか?

リオへの旅行はボサノバ発祥の地を訪れるというだけのお気楽な観光旅行だった。滞在したのは、コ パカバーナ、イパネマ、レブロンというリオの高級住宅地兼観光地だった。私が行った頃、リオではボサノバは完全に廃れており、では音楽的には何が流行って いたかというとロック、特にヘビメタだった。ジョビンとヴィニシウスがビールを飲みながらたむろし、名曲「イパネマの娘」を仕上げたバール(アルコールも 出す喫茶店)もただの観光地名所になっていた。

イパネマの海岸に面したビアホールで鶏の唐揚げと白ワイン(ブラジルで流通しているのはほ とんどチリのワイン)を飲んでいた時だった。一人のプラカードを下げたアフリカ系少年がやってきて私に「お金を恵んでくれ」と言った。そのプラカードには 「事故で腕を失いました、アメリカに行けば義肢の手術ができます、寄付をしてください」と書いてあった。そして彼は自分の左腕を私に向けて突き出した。そ の腕は間接部から先がきれいに無かった。

ほう、私は感心した。何故かというと、この少年は職業乞食だからだ。職業乞食はインドに多いとい う話はよく聞いた。先祖代々、乞食を職業とする人たちだ。彼らは同情をひくために腕や足が無いことが多い。それは子供の頃、親により切り捨てられるから だ。腕や足がないほうが乞食として儲かるからだ。無慈悲な父親のように思えるが、その父親も同じことをされ、職業乞食としてお金を稼いだのだから当然とい う意識があるのかも知れない。そしてブラジルにも職業乞食がいたのだ。

何故、職業乞食と言えるかというと、まずアメリカに行き義肢の手術 を受けるという部分が完全なドル稼ぎの為の口実であり、さらにこの子供の切断された腕が生活に大きな支障の出ない左手で、しかも間接部から先がきれいに切 られており、その切られた部分の肉もきれいに盛り上がっていたからだ。事故で、そんな状態になる訳がないので、恐らく父親に腕を切られ「今日からオマエが 乞食をやってお金を稼げ」と言われたのだろう。

私はこういう乞食には絶対、金を渡さない主義でアフリカに行った時も1回も渡さなかった。 だが、この時は初めて職業乞食を見たために精神が動揺したのか、財布の中にあった低額紙幣を何枚か渡した。そうすると、周囲にたむろしていた同じようなガ キどもが押し寄せてきて「オレにもくれ」と大騒ぎになり、お店の人が彼らを追い出すまで私は立ち往生した。

こうした子供たちは観光地リオ のホテルや商店街主から当然ながら嫌われており、彼らはマフィアにお金を渡し、定期的にこうした子供達を「掃除」していく。はっきり言えば、観光客が出て くる前の早朝、車から出たマフィアのヒットマンがマシンガンをストリートにいる子供達に連射するのだ。

これが私が行った頃のブラジルの貧 困だった。アフリカはどうかというと、こちらはそれほど印象的な貧困は見なかった。キンシャサ市民の半分以上が一日一食がかつかつというレベルの貧困に過 ぎなかった。コンゴに関して言えば観光客自体が最初からいないという事情もある。当たり前だ、エイズとエボラとマラリアと訳のわからない寄生虫だらけの土 地に観光にいくのは酔狂なコンゴ音楽ファンだけだった。

この頃の私は、コンゴに来た以上、コンゴ人と同じ物を食べ、同じ水を飲み、同じ生 活をすべきと考えていた。そうせずにコンゴ音楽がどうたらこうたらと言うのは偽善と考えたからだ。だがコンゴの首都キンシャサの水は恐ろしく不衛生で、水 だけはペプシ・コーラに切り替えた。日本に戻った後、詳しい人に聞いたら、キンシャサには上水道というものはなく下水と上水が混じりあっており、寄生虫の 卵なども入ってるので飲むべきではないという。露骨に言えば、私はコンゴ人の排泄物混じりの水を飲んだ訳だ。

こうした経験から、世界の貧 困というのは滝のように流れており、それに対して何かしようというのは意味の無い行為と私は考えるようになった。私は昔から人命は地球より重いなどと一回 も考えたことがない現実派のエゴイストだから行動に何ら矛盾は無いが、人命は地球より重い的な思想を主張する人たちは何故、コンゴやブラジルの貧困を放置 しているのだろうか?平和を愛する国際的人権派TVキャスター鳥越俊太郎氏はBMWを所有しBMWのCMにも出られているようだが、そのBMW一台のお金 を食料にかえコンゴの奥地に持ち込めば、数百人の子供達の命が助かる、少なくとも数週間は確実に命が延びる。何故、鳥越氏はTVでの主張と現実の行動が正 反対なのか?

恐らく、鳥越氏は本当に貧困が滝のように流れる土地に行ったことがないのだろうと私は思う。本当の貧困を見て、まだBMWを乗り回す生活ができるなら、それはもはや心が死んでいるとしか私には思えない。