テクニカル分析はいつ死ぬか?

昔、 新聞社の広告営業をやってた頃、講演会の講演者として長谷川慶太郎氏をお呼びしたことがある。送迎のタクシーで15分ほど、一緒になったので「先生、罫線 とかどう考えておられます?」と私は質問をしたことがある。そうすると長谷川氏は「罫線、テクニカル分析だね。ボクは信じてない。そういう株の専門的な事 は知らないんだ」と言われ、明るく笑われた。しかし、1時間後に予定している講演会の主催者(=広告主)は山一證券だった訳で、「株の専門的な事は知らな いんだ」と明るく笑われても、こちらとしては非常に困る訳だが、とりあえず謙遜されているのだろうという希望的観測の下に講演会場に入った。講演会は、 もっと大きなお金の流れに関するものだったので好評のうちに終わる事ができたが、後日、山一證券名古屋支店に顔を出したら担当者から「長谷川さんは株の業 界紙の記者をやってたという割には株のことを知らない」と言われたので、別に謙遜でもなく本当にテクニカル分析に興味無いということがわかったのだった。

余 談だが、長谷川氏はきさくな人で「お昼はどこかのホテルで取りましょうか?」と言うと「アラスカで良いよ、ボクはアラスカの料理が好きだ」ということで朝 日新聞社内にある幹部および接待用レストラン、アラスカで一緒にお昼をいただいた。だが、全ての講演者が長谷川氏のように気さくでフランクな人では当然な く、ある女などはタクシーで1時間同乗したにもかかわらず一言も喋らなかった。アグネ、あ、いやその、人生様々、講演者も様々なのであった。

と ころで私もテクニカル分析の知識ゼロで全く信じてない。すでに書いたように投資に対する考え方が相当に変わっており、テクニカルな知識が必要ないからだ。 だが、時々テクニカル信者(英語ではチャーティストと言う)が主張する通りのことが日経平均でもおきる。これは何故なのかずっと不思議に思っていた。長谷 川氏では無いが、私もテクニカル分析というのは茗荷(みょうが)を食べると物忘れがひどくなるレベルの迷信だと思っていたからだ。

現在の 考えはこうである。今の市場においては何らかのアルゴリズムに基づくプログラム売買の比率がかなり高い。そうした株式売買プログラムに、ある程度テクニカ ル分析が組み込まれている。そうしたプログラムは各社で異なり、磨きをかけている訳だが、時々全てのプログラムが買いあるいは売りのシグナルを出すことが ある。そうしたプログラムのほとんどがテクニカル分析を幾分かは取り入れているために、時としてテクニカル分析通りの結果がおきる。つまりテクニカルが正 しいかどうかでは無く、それを組み込んだ売買プログラムが多くの機関投資家により採用されているために、結果として時々テクニカル分析どおりのことがおき るのではないかと考えるのだ。

だが、そうしたプログラム売買の裏をかくことも可能だ。他社のプログラムでは明日あたり買いが入るだろうか ら先回りして今日、買っておこうとか。つまり、売買プログラムが洗練されてくればくるほどテクニカル分析通りの事はおきなくなるだろう。それは既に今おき ており、近い将来にテクニカル分析は死ぬのではないかと私は考える。テクニカル分析が死んでくれれば余計な勉強をしなくてすむので私としては非常にありが たいのだが株式評論家とかは喋ることが無くなり困るかも知れない。