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3度の意味が失われた時
今回のエッセーは音楽理論に関する物なのでほとんどの人には興味も湧かず理解もできないだろうということを最初にお断りしておく。
西
洋音楽およびその延長線上にある音楽、それにはJポップも含まれるのだが、そうした音楽での和音のベースは3度重ねにある。ルート、3度上、5度上という
トライアドが基本なのだ。一方でジャズを中心にテンション・ノートをどんどん加えていく作業が行われた。例えば13thなどがそうだ。ところがギターは一
応、コード楽器なのだが弦が6本しかないために13thの構成音全てを弾くことはできない。
その場合はルートか5度、あるいは両方を抜け
というのがある時代までの考えだった。何故なら3度という音はトライアドがメジャーになるかマイナーになるかを決める音であり、そのような重要な音は抜く
べきではないと考えられたからだ。多くのポップスではベースが入っておりベースはルートか5度を弾くことが多いから3度を残しルート/5度を抜くというの
は妥当な考えに思えた。
だが80年代後半くらいから、そうした長調か短調かわかるような音の選び方はダサイと考えられるようになった。結
果として3度を抜き代わりに4度か2度を入れるスタイルが流行った。こうした音の選び方をすると非常に空間的広がりのある音が作れるからだ。具体的なコー
ドで言えば
sus4 sus2 9thsus4(11thと書くこともある) m11 maj11(この表記を嫌う人は多いが、その場合かなりややこしいコード表記になる)
などだ。一時期はこうした長調か短調かわからない音楽がカッコいいぜということで流行ったのだが (一部のスムーズ・ジャズなど)、そうした音楽は耳新しいもののすぐに飽きてしまい、やがて一部の人しか使わなくなった。
現在のポップスにおいて、もはやそうした楽理的に新しい発想そのものが生まれる余地はなく、フィルターの開き具合がどうのコンプのかけ具合がどうのという不毛な世界になってしまった。個人的には音楽は退化していると思う。
そうした楽理とあまり縁の無いコンゴ音楽はどうかというと単純なコードの繰り返しの上での疾走感は失われ、70年代のジャズロックのように小難しい仕掛けを使う音楽になった。私の意見ではこちらも袋小路に入ったように思える。
音楽がこのまま死に絶えるのかは不明だが、現状何ら新しいものは生み出されてないと思うのは、こっちの感性が鈍ったせいか、それとも音楽はもはや可能性が出尽くした終わったジャンルなのかはまだ結論が出ない。
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