果たして英語の習得は可能か?

昔、 英語の仕事をしていた時のことだ。会議室の隅で二人の女性がボソボソと話しあった後、私に尋ねた。「ニューズウィークの記事を読んで理解できます?」とい う質問だった。私は正直に「難しすぎてわからない。ボキャブラリーの問題では無いと思います」と答えた。すると質問をした二人の女性は、満面に笑みを浮か べ「良かった、ニュ−ズウィークの記事が読めないのは自分達だけだと思ってたけど**さん(私のこと)も読めないなら日本人には読めないということです ね」と答えた(彼女たちは翻訳/読み書きに特化した私なら読めるかも知れないという恐れを抱いていたようだ)。

それがどうしたと言われる かも知れないが、この二人の女性はプロの同時通訳者であり、一人は同時通訳養成学校の講師をされていた。そのレベルの人でもニュ−ズウィークの記事は読め ないと言うのだ。私も正直、ほっとした。「そうか、ニュ−ズウィークを読めないのはオレだけではないんだ」と非常に気持ちが楽になった。

私 も含めた、この3人の英語能力および取得資格は実務レベルにおいてそこらの大学教授をはるかに超えていたと思う。それでもニュ−ズウィークの記事が読めな いのだ。何、ニュ−ズウィークが読めない訳がない、機械翻訳にかけても読めるだろうと主張される方もおられるだろう。別にそういう考えを否定するつもりは ない。だが、私が知る限り、英語の現場で実際にお金を稼いでいる人ほど正直に「自分は
ニュ−ズウィークを読むほどの英語力を持たない」と認められるように思える。

私 達がこの話題で盛り上がっていると、周囲にいたアメリカ人が不審がって「何を話してるの?」と聞いてきた。私が「ニュ−ズウィークを読むというのは日本人 に取りほとんど不可能な作業だと確認しあってるのだ」と答えると、このアメリカ人は驚き「どうしてニュ−ズウィークが読めないのか理解できない。オマエ達 はネイティブ並の会話をし、文章を書いてるではないか。それは何かの冗談か?」と聞き返した。我々、日本人組が逆に「オマエはニュ−ズウィークを読んで理 解できるのか?」と聞くと「当然だ」と答えた。

ここにはもはや埋められない溝がある。正直なところを言えば、10代の頃は私も英文なんざ 辞書があれば読めるくらいに思っていた。そして10代の終わり頃に何ら勉強をせず英検1級を取れたから虚勢をはっていた訳でも無かったのだろう。だが、自 分が英文を書くことはおろか読むことすらできないという単純な事実に気がつくのには、それから20年近い英語の勉強が必要だった。

そうし た主張は衒学趣味の非生産的かつ不毛なものであり、公言すべきでないという意見もあるだろう。正直、私もそう思うのだが現状、英語を読むことも書くことも できないのは事実だ。そして恐らく、20−30年後に死ぬ時に「ああ、結局自分は日本語すら習得することができなかったのだ」と悟るだろうと予測する。逆 に言えば、現時点では日本語の読み書きは出来てると自負している訳だ。

この3人で話している時に英検1級の合格通知をどうしたかという話 題になったことがある。私が内容を確認し丸めてゴミ箱に入れましたというと別の女性(プロの同時通訳者)も「私もすぐに捨てましたが、後で仕事先から証明 書を出せと言われ再発行してもらいました」と答えた。もう一人の女性(プロの同時通訳者兼同時通訳養成学校の講師)は苦笑いをし「捨てはしませんよ、どっ かに放り込んで忘れて、後日部屋中を探し回りましたが」と答えられた。これは別に英語プロの最前線の話ではなく、1流と2流の中間層に位置する人たちの会 話である。

自分が何を理解できていて何を理解できていないかを理解するのには、恐ろしいほどの労力が必要だと思う。それは私の衒学ではな く、同時通訳ができるレベルの人でも普通に感じることなのだ。そうした主張が生産的であろうとなかろうと、英語のプロの多くがそう感じているというのは事 実なのだ。