八月の濡れた砂

八月の濡れた砂とは何かというと70年代に人気のあった映画だ。

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『八 月の濡れた砂』(はちがつのぬれたすな)は、1971年8月25日に公開された藤田敏八監督の日本映画。カラー作品/上映時間91分。日活青春映画の最高 傑作とされる。同時上映作品は、蔵原惟二監督の『不良少女魔子』。この2作が、ロマンポルノに移行する前の、旧体制日活最後の作品となった。

私 は映画に全く興味が無いのだが、この映画だけは5回ほど見た。何故かというとサントラが素晴らしかったからだ。石川セリさん(後の井上陽水奥さん)による けだるいボーカル、パラグアイの民族楽器アルパ(ヨーロッパのハープが土着化したもの)の音色、ストリングス・アレンジなど全てが素晴らしく私は音楽を聴 くだけの目的で4回くらいは映画館に足を運んだと思う。

話は変わってサラリーマン初期に不可解な事件があった。それは何かというと、珍し く女性と映画を見ようと思った私は職場の女性にこの映画を一緒に見ませんかと声をかけた。この女性は快諾し私は当日まで油断していたのだが、当日の朝に なって「お断りします」という幾分か怒りのこもった拒絶にあったのだ。こちらも大して期待しておらず、そもそもチケットも確保してなかったので何ら実害は なかったが何故、彼女はいったんOKしておきながら当日になり拒絶したのかはずっと気になってはいた。

最近は動画サイトも充実しており 「八月の濡れた砂」も色んなバージョンで見ることができるが、ある原作に忠実なバ−ジョンを見た私は自分の眼を疑った。それは、その何というか、そのバー ジョンがスーフリのような陰惨さは無いものの女性の強姦シーンで始まっていたからだ。私は音楽に気を取られており、映画がどういう風に始まるか全く覚えて おらず気にもとめなかったのだが、どうやら強姦シーンから始まっていたらしい。そして私がデートに誘った女性は、これに気づき当日になって断ってきたよう だ。

これでは相手の女性が断るのも無理はないだろう。だが、そうした事情とは関係なく私の女性への不信感が増したのも事実だ。何故なら、「八月の濡れた砂」は本当に素晴らしい映画だったからだ。その関連で想い出すのは私が大学4年の時の就職が決まる前と後の状況だ。

朝日新聞社に就職が決まるまで、こちらが挨拶しても返事すら返さなかった女性クラスメートが、就職が決まったとたん発情した動物のようにすり寄ってきたのはハッキリ言って気持ち悪かった。それまでは男女同権論者だった私が修正したきっかけでもあった。

個 人的事情を言えば事態を打開するには、すでに遅すぎるところまで来た。ほとんど面識のない女性を強姦シーンから始まる映画に誘うのは、ちょっと無理があっ たかなと今頃になって思う私だったが本当の問題は、その事に対して私の内部で「残念」とか「不味かった」という気持ちがサパーリ起きないところにあると思 う。

今、振り返って見ても、八月の濡れた砂の芸術性を理解できない異性など、つきあう理由が微塵もないように思えるのだが。