血湧き肉躍るコンゴ音楽シーン

今回はコンゴ音楽シーンに関することだが、別に興味ない人でも楽しく読めると思う。90年代、アフリカで最も流行った音楽/ダンスはンドンボロ(ndombolo)で、コンゴ人歌手デファオがその中心人物だった。このデファオの経歴がなかなか面白いのだ。

90年代に入ってデファオは若手ミュージシャンを多数起用したビッグスターズというバンドを結成する。このバンドは本当に素晴らしいバンドで、音楽もしっとりとした情感あふれるものだった。そこでデファオと並ぶ人気を誇ったのがアザンガという若い男性歌手だった。

人 気が出たビッグ・スターズは欧州公演を行うのだが、ここで大きなトラブルがおきた。それは何かというとデファオ以外のメンバーのほとんどがフランスで政治 亡命しバンド・メンバーがいなくなったのだ。フランスにおいてコンゴという国は独裁国家として認識されており、コンゴの体制に不満があると言えば簡単に政 治亡命許可が下りるらしい。だが政治亡命したところで、まともな職がある訳もなく、マクドナルドの店員、警備員、道路清掃人などのフランス人がやりたがら ない仕事に多くがついた。一方でそうした「政治亡命者」がマフィアのメンバーとなり犯罪をおこしたりもした。

最初、このニュースを聞いた私は呆れた。アザンガほどの歌唱力と知名度があるならコンゴを代表する歌手になるのもそれほど難しくないだろうに何故に「確固たる」音楽生命を捨ててまで政治亡命を選んだのか理解できなかったからだ。

だ がバンドのメンバーが抜けてはコンサートは開けないだろうというのは我々、日本人の浅智慧で、コンゴ音楽の場合、即座に代わりを務めることができる人間が 山ほどいる。実際デファオはパリ在住スタジオ・ミュージシャンを起用してコンサートを終えたばかりかアルバムも数枚録音した。ところがその欧州録音の数枚 の新譜を聞いているうちに2枚がジャケット違いだが音源が全く同じことに私は気がついた。その頃、私は英国のDJマーチン・シノックとメールのやり取りを しており、マーチンにいきさつを聞いたところ彼の説明はこうだった。

デファオはまず音源テープをあるレーベルに売り渡した。その音源テー プがプレスされた後にレーベルの事務所に深夜、侵入し音源テープを「回収」し別のレーベルに売りつけたらしい。私はコンゴ音楽にみなぎるパワーとダイナミ ズムに魅了されてきた訳だが、まさか実世界でもこれほどダイナミックとは思わず、いささか呆れたのは確かだ。

コンゴに戻ったデファオは現 地の2軍をかき集め、第2期ビッグ・スターズを作った。この頃からデファオはアフリカ全土で馬鹿受けしだした。いや、アフリカに限らずNY公演も成功させ ている。とうとう、アビジャン・ライブというDVDまで発売した。これは純粋にアフリカ土着市場向けの最初のDVDでは無かったかと思う。この頃がデファ オの全盛期と言えるだろう。

その後、コンゴは内戦に突入し治安も悪化したためかデファオは活動拠点をナイロビに移す。ケニアにおいて最も 人気のある音楽はコンゴ音楽であり需要は昔からあったとは言え、都落ちの印象はぬぐえなかった。そのナイロビにおいてデファオを何かの事件をおこしたらし い。私は勝手に麻薬売買組織に手を貸したのだろうと思っているが、ともかくデファオは警察につかまり有罪判決を受け塀の中の人になってしまった。

さ すがに獄中の歌手を支持する人は減り、デファオの人気は一挙に落ちた。刑期をつとめあげた後、ナイロビでまた自分のバンドを立ち上げたらしいのだが、残念 ながら人気はないようだ。最近、新譜を出したようだが、ほとんど話題になっていない。かつての人気のかけらもないのだ。

結局、デファオ& ビッグスターズの90年代以降の歴史を振り返る時、一番成功したのは欧州公演の際に政治亡命したアザンガなどの初期ビッグスターズメンバーのように思え る。だがアザンガが今、何をやってるか情報はまるでなく、推測するに良くて小さなお店の店主、普通に考えて警備員か道路清掃人、最悪マフィアの手先として の麻薬売人くらいではないかと思う。

90年代後半、デファオがアフリカで最大の人気を誇った歌手/ダンサーだったことは少しでもアフリカ 音楽に興味ある人には疑問の余地がないところだが、そのデファオの末路はあまりに「アフリカ的」であった。そしてデファオのバンド・メンバーで最も出世し た人がパリの警備員あるいは道路清掃人をやっているのだ。アフリカ/コンゴというのは我々の理解を超えた部分がある・・・