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キンシャサの花嫁
あ
る日、私はキンシャサ市内を歩いていた。バザーを見て回り、そこを抜けるとコンゴの官庁街だった。別に官庁街に用はないので私が自分のホテルに帰ろうとし
た時だった。立派な車に乗った男が、車から降りてきて私の手をつかみ、振りちぎらんばかりに握手しながら「マタディ、マタディ」と大きな声を挙げた。男が
何を言おうとしているのかはすぐにわかった。丁度、日本の援助でアフリカ最大の橋(当時)、マタディ大橋が完成したところであり、この男は私に礼を言って
るのだった。
私は適当にあしらい逃げようと考えたが、彼は私をタクシーにいきなり押し込みナイフを突きつけ身ぐるみはいで、いやいや、そ
うではなくキンシャサの高級住宅街にある彼の自宅まで連れていかれたのだった。男はアバコスを着ていたから恐らく公務員だったと思う。アバコスというのは
何かというとコンゴの独裁者モブトゥが中国の人民服を真似て作った「制服」で、これを着ているのはモブトゥ支持の保守派がほとんどだったからだ。
彼
の自宅のソファに座ると彼の娘らしきなかなかの美人が紅茶を運んで来て我々のテーブルの前におきニッコリ微笑んだ。娘がひっこむと男は何かを必死に話し始
めたのだが、残念ながら私はコンゴの公用語であるフランス語もリンガラ語もできず、男は逆に英語の知識ゼロでありお互い何を言っているのか全くわからない
状態が10分ほど経過した。その内に男は私が結婚しているのかどうかを聞いているのだとウッスラとわかった。私はありったけのフランス語の知識を振り絞り
答えた、「マリアージュ・ノン」と。
急に部屋の雰囲気が冷たくなった。男はよそよそしくなり「そろそろ帰るか、帰るならタクシーを呼ぼう
か」と言い出した。無理矢理、彼の家まで連れてきておきながら「帰るならタクシーを呼ぼうか」もないが、私は彼の申し出を断り歩いて帰ることにした。官庁
街からそれほど離れていないことを確信していたからだ。
だが、この判断は大変な間違いだった。すでに半分、薄暗くなった市街に出てもどち
らに行けばいいのか見当もつかなかった。とりあえず私は歩き出した。歩いている内に、タクシ−が通るだろうから、それを拾って帰れば良いと考えたからだ。
だが、これもまた大変な判断ミスだった。私は気がつくと人気のほとんど無い雑木林の中の道を一人で歩いていた。太陽はほとんど沈んでいた。
キ
ンシャサ市内だから野獣が出ることは無いだろうが、このような形で夜道に取り残されると思ってなかった私は大変な不安感に駆られた。車もほとんど通らず、
ごく希に通るタクシーもすでに乗客を乗せており、私がいくら手を振っても反応しなかった。今日はここで夜明かしするかと半分あきらめた頃、偶然タクシーが
通りかかり、この運転手は私が宿泊ホテルの名前を告げるとうなずき「乗れ」と言った。という訳で私はかろうじてコンゴでの野宿を避けることができた。
結局、私はコンゴ人の花嫁をもらい損ねたのだが、あの場で「マリアージュ、ウイ」と答えたら何がおきたかを想像すると、それも決して幸せな結果をもたらしたとは思えなかった。人種、民族、文化、風習の違いは簡単に乗り越えられるものでは無いのだ・・・・
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