世界タクシー事情

サ ラリーマン時代にH堂がややこしい企画を持ち込んだために私は長期アルバイトを雇うはめになった。その仕事では車が必要であり、免許証を持っていることを 条件に書類選考と面接をし、ある娘を雇った。この人は裕福な家庭で育ったらしく会社に通勤するのにBMWを使用していた。雇用主である私が原付50ccに 乗っているのに時給***円のアルバイトがBMWを乗り回しているのだ。

彼女は「日曜日はBMWをころがすのよ」と言った。ほう、私は感 心した。細身の体でありながらBMWを転がすほどの怪力を持っているのかと思ったからだ。だが、これは私の勘違いで、彼女は日曜日はドライブを楽しむと言 いたいだけだった。これは当たり前で本当にBMWをひっくり返すことができるならサーカスに入団し大もうけができただろう。

私はそのように若いときから贅沢をしてはいけない、若いときこそ苦労して人格を育てるのだとこんこんと人の道を説いたのだが彼女は鼻でせせら笑うだけだった。逆に彼女は私を洗脳しようと試み、BMWに同乗するたびにその乗り心地の良さを自慢した。

これは先進国日本の話だ。だが世界の事情は違う訳で、取りあえず自分が体験したコンゴでの自動車、特にタクシー事情について書いてみよう。

ま ずコンゴにおいて公共交通はあまり発達していない。市営バスは一応あるのだが、不定期運行でありあてにならなかった。恐ろしいことにバスの外側に手すりが たくさんついていた。これは満員で中に入れない人がすがりつくために存在した。だがバスの運転は荒っぽく、コーナーを回る時など大きく揺れるために、手す りにつかまっている人が力尽きバラバラと地面に落ちる光景を何度も見た。地面に落ちた場合はバス料金は払わなくて良いのだが、目的地まで落ちない場合は正 規バス料金より幾分か安い料金を取られたようだ。バスに乗るのも命がけなのだ。

このように公共交通があてにならない為にタクシーが庶民の 足となっていた。キンシャサのタクシーにはいくつか大きな特徴があった。まず床が無かった。キンシャサのタクシーのほとんどはフランスを中心にした欧州諸 国で廃車に成った車を輸入したものだ。当然、元々は床はあったのだが南緯5度のキンシャサの熱と湿気により浸食され抜け落ちてしまうのだ。

最 初に乗った時は、文字通り足の置き場がなく私は困ってしまった。仕方ないので、端々に残っている床の残骸のうえに足をおいた。だが慣れると別にどうと言う ことは無かった。特に止まっている時は、道路に直接、足をおろすことができ、それはある種の開放感をもたらした。アフリカの大地を踏みしめた訳だ。またキ ンシャサの雨期においてはかなり蒸すために通風、換気面でもナイスであった。

問題はむしろエンストにあった。そこまでダマシ、だまし使っ ている車なのだから急にエンジンが止まってしまい動かなくなることは頻繁にあった。その場合、運転手は一応ボンネットを開けてみるのだが、まずエンジンが 動き出すことは無かった。だがキンシャサのタクシー運転手の間には、そうしたトラブルがおきた場合は料金を一切とらず、他のタクシーと交渉して乗客をさば くという仁義があった。プロ根性だなと私は感心したが、90年代にキューバに行った人の話を聞いたらキューバでも事情は全く同じだと言ってたので世界共通 マナーなのかも知れない。言い換えればそれがグローバル・スタンダードなのだ。

さらにキンシャサのタクシーは庶民の足であるために相乗り が普通だった。すでに客を乗せていても道端で手を振っている人がいれば何人でも押し込んでいった。そうして乗り合いになったオバチャン達はアジア人を見る のが珍しいらしく、しきりに話かけてきた。言葉はもちろん通じないのだが、適当に何かを言ってれば友好的雰囲気が生まれたものだ。

そして 私は思うのだが、最初に書いたBMWを乗り回す若い娘とキンシャサの相乗りタクシー、この2つを比較した時に果たしてどちらが「人間的」なのだろうか?私 は車の必要性、特に業務用車の社会における重要性は十分理解しているつもりだが、今の日本のようにレジャーでSUVを乗り回すのが果たして健全な社会のあ り方なのか大いに疑問を持つのだった。