地球の裏側にいた愛国者

リ オでの滞在に飽きた私はサン・パウロに移動した。サン・パウロの空港で拾ったタクシーの運転手は偶然にも年配の日系人で普通に日本語で会話ができた。サ ン・パウロというのは訳のわからない都市で基本的に日本語は通じないのだが、庶民向けの食堂でフェイジョアーダという豚肉と豆の煮込み料理を食べていたら 前のお兄ちゃんが「日本のかたですか?」と話しかけてきたりする。そういう意味では日本人にとって住みやすい都市ではあった。

このタク シーの運転手は「今の日本はダメだ。私らにはもはや考えられないことがおきる」と言い出した。何を言いたいのか聞いてみると昭和天皇ご崩御の際、長崎市長 本島等氏が「天皇戦争責任論」を主張したことへの批判だった。この日系運転手さんは日本人である本島氏が「昭和天皇に第2次大戦/大東亜戦争の責任があ る」と発言したことが耐え難いらしく、ひとしきり本島氏と日本社会の「堕落」を非難した。だが私が黙り込み何も返事をしなかったためか急に話題をブラジル のインフレに変えた。ここでもブラジルの為政者が如何に腐り果てているかを主張され、正直タクシーの中でそうしたヘビーな話題をしたくない私は辟易したこ とを想い出す。

そうした自分が考える、あるべき日本社会を語られるのは自由なのだが日本という国と社会もまた常に変貌してきた訳で、「今 の日本人はなってない」と外国に移住されたかたに言われても「今の日本人」としては困ってしまうのだ。何らかの明確な日本のあるべき姿のビジョンとそれを 実現するための具体的な方策が提示できないなら、それは結局「今の若者はなってない」という大昔からの老いの繰り言と同じになってしまうと思う。

大 体、戦争という行為自体が超法規的問題解決手段であり、その目的は勝つことにある訳だから日本を敗戦に導いたという意味では当然ながら昭和天皇に責任はあ ると私は思う。だが日本がかかわった第2次大戦が正義か悪かというのはそれとは全く関係ない話であり、結局のところ、その判断は戦争の勝者が敗者に押しつ けるものでしかないというのが当時の私の考えであり、現在でもそうだ。

サン・パウロの日系人というと有名な勝ち組・負け組の話がある。勝 ち組の人が負け組の人に暴行を加えたり家に放火したために、それまでは比較的優良移民として扱われていた日系人の評価が下がったのは事実だ。それまで私が 接していた日系ブラジル人は3世以降の日本的情感をほとんど失った人たちだった。一時期、ブラジル・ポルトガル語を教えてくれたクリスチーナという女性も そうだった。だからサン・パウロでいきなり持ち出された「今の日本はダメになった」論に相当に意外感を持った。

そして私は思うのだが、日 本に対しあまりに過剰な思いこみを持っている人は9条原理主義者と同じくらい日本に取り必要のない、ある意味では「危険」な存在ではないかと。厳しく批判 すべきなのは日本の偏向メディアにより現在も続けられている「洗脳工作」であり、極右も極左も法治国家日本を否定している点において同様に危険だと私は思 う。

随分、昔の話だが私は地球の裏側サン・パウロでそう考えたのだった。