とりとめの無い話

昨 日(2009.08.07)のアクセス・ログを見ていたら何も更新してないのにアクセスが増えている。別に増えたから儲かる訳では無いが、とりあえず「マ ンモス・ラッピー」と呟いてみた。だが理由が不明だ。解析結果を見ると以前に書いた麻薬ポスターの主人公がらみでのアクセスがあったようだ。エッセーを書 いた時は全く気付かなかったがあのポスターの女性はノリPだったのか?要は私はノリPの名前は知ってても容姿は全く知らなかったのだ。一体、私は本当に日 本に住んでいるのだろうか、ふと疑問に思ったりする。

ノリPとほぼ同時に押尾さんも逮捕されたらしい。「え、あの押尾さんが麻薬に手を出 すなんて」と私は驚きの声を上げた。何故ならギタリストの押尾コータローだと思ったからだ。だが逮捕されたのは押尾学という俳優兼歌手だった。当然ながら (笑)逮捕されて初めて名前を知った。写真を見てもどっかで見たという記憶が全く無い。コータローさんの演奏は割と好きなので最初は本当に驚いたのだが、 押尾学ならどうなろうと、いやその、当局が的確な処理を可及的速やかに進められるように期待したい。

話は変わり、先日、北京閥と上海閥に からめた馬鹿話を書いたら、即座に中国本土からかなりのアクセスがあった。何事かと思ったら同じ日にウイグル族絡みで胡錦涛中国国家主席がG8をキャンセ ルし急遽、帰国したという事件があったことが判明した。エッセーを書いた時点では純粋に馬鹿話として書いたのだが、まさかその日のうちに書いたことが「実 現」するとは。読み返してみると、自分が書いた文章ながら「深読み」も可能な部分もあり、何というかこのサイトの「デス・ブログ」化は本人が知らぬうちに 着々と進んでいるようだ。

私はヌジャベという日本人クラブ音楽アーティストのアルアリアン・ダンスという曲が好きだ。この曲の動画サイト でのコメント欄を読んでいるうちに勘違いにビックリしたことがある。それは、スウェーデン男性の書き込みなのだが「オレ、一生懸命に働いて老後は日本に移 住する、そしてヌジャベの音楽を毎日、楽しむんだ」とあった。この男性は一体、日本にどういうイメージを持っているのだろうか?ひょっとすると日本人は週 のうち半分は田植えをし、残り半分はソニーかトヨタの工場で働き、週末になると着飾り、ナイスでクールでマッシブなクラブに通いヌジャベの音楽に酔いしれ るとか考えていないだろうか?私はふと不安になった。少なくともスウェーデンの高い税金は老後の社会保障などにあてるために取り立てられているのだから、 歳をとって日本に移住しては税金分損をするような気がする。しかし彼は別に日本に帰化するとは言ってないので東京に住んでスウェーデンの年金を受け取りヌ ジャベの音楽を楽しむつもりなのかも知れない。

クラブ音楽シーンは割とジャズと相性が良いらしくハービー・ハンコックも人気があるらし い。ハンコックと言えば日本のある宗教の信者であり、時々「大先生」との2ショットが雑誌の表紙に使われていたりする。ハンコックは本当に好きな演奏家な ので、そうした写真を見るたびに私は「ウーム」と考えてしまう。関係ないがハンコックのバンド、ヘッド・ハンターズにいたベーシストのポール・ジャクソン は今、西宮あたりに住んでいるらしい。私の知人の知り合い(≒赤の他人)がステージで一緒になった時のことをブログか何かに書いていた。

サ ン・パウロに行った目的の1つはソン・ダ・ジェンチ(Som da Gente)という独立レーベルの訪問にあった。彼らはエリオ・デルミーロとかエルメート・パスコアールとか渋いジャズ・テイストのアルバムを制作してお り、もし可能であれば日本でディストリビュートすることができないかと当時は考えていたのだ。ソン・ダ・ジェンチの事務所はただの民家であり、「アロー、 アロー」と言いながら入ろうとしたら若者数人に取り囲まれた。サン・パウロは結構、危ない場所でありアポ無しでくるような人間は犯罪者扱いされてもしかた ないらしい。

その内に騒ぎを聞いた女性が中から出て来て「オマエは何の目的で来たのか」と英語で聞いた。私が、素晴らしいアルバムを制作 しているレーベルに敬意を表しにきたのだというと彼女は中に入れてくれた。この女性はヒフカ・ジ・ソウザというかたでレーベルの事務を取り仕切っていた。 私が「エリオ・デルミーロとかエルメート・パスコアールの音楽は素晴らしい。もし日本でディストリビュートするならどのくらいのライセンス・フィーが必要 か」と聞くと、これはビジネスの話であるために彼女も真剣になり「オランダのレーベルとライセンス契約した時はこうだった」とか説明をしてくれた。だがソ ン・ダ・ジェンチというレーベルは意外とメジャー志向らしく、結局話はまとまらなかった。

この人は割と親切な人でエリオ・デルミーロのギ ター演奏を私がほめちぎるとメモにエリオのリオでの住所と電話番号を走り書きをして渡してくれた。リオに戻ったらエリオに会ってみろと彼女は言う。レーベ ル主宰者がエリオの家を訪問してもかまわないというありがたい話だった。何故、そんなに親切なのか不審に思っていると帰り際に彼女は言った。「私達はみん な真光の信者で、毎年東京の大会に出ている。オマエの話の続きは私達が東京に行った時にしよう」と言い出した。当時、私はこの宗教のことを全く知らなかっ たのだがサン・パウロにかなりの信者がいたようだ。私も自分の部屋の住所と電話番号を書いたメモを彼女に渡し別れたのだった。その2年後くらいにソン・ ダ・ジェンチは潰れてしまいソウザさんと再会することは無かった。

真光と言えば、コンゴを代表する歌手の一人ペペ・カレも信者であり、音 楽と関係なくしょっちゅう日本に来ていたという。これはコンゴ音楽ファンの間では有名な話なのだが、ペペ・カレの音楽はアフリカでは圧倒的に支持されてい るが割と商業主義的なところがあり、日本ではあまり人気が無い。誰かがキンシャサでペペ・カレのコンサートに行った話を聞いたが、コンサートが夜の10時 半に始まったという。私は驚き、「どうしてそんなに早い時間にコンサートがあるんですか?客がこないでしょう」と聞いた。そうすると相手は「いやペペ・カ レは政府支持の保守系だから」と答えた。キンシャサではコンサートは通常夜の1時くらいから始まる。10時半から始めたりすると保守派のレッテルを貼られ てしまうのだ。そのペペ・カレも数年前に死んだ。

ところでコンゴと中国は数十年、人的交流をしてきた。これはコンゴの独裁者モブトゥが中 国崇拝者だったからだ。キンシャサ市内に中国人街があり、靴屋とか小さな商売をやっていた。コンゴからも中国に人が送り込まれたらしく、そうしたコンゴ人 が中国で現地化してしまい、中国語で歌うコンゴ音楽のアルバムを出したらしい。これは中国に観光旅行でいった人が偶然、ラジオで聞いたという話だ。

私 がコンゴ音楽を聴き始めた頃は現地の公用語リンガラ語の辞書が無かった。代わりに10ページくらいのリンガラ語−英語の単語集コピーが出回っていた。それ は噂ではコンゴ動乱の時、CIAが工作活動のために急遽、制作したものだと言われていた。だが、誰かがコピー回収命令を出したらしく、そんないい加減な単 語集のコピーすら流通しなくなった。これは本当の話だが、未だにどう解釈したらいいかわからない。音楽の最前線はこのように不思議と危険に満ちあふれてい るのだった。

私はもちろん、どこの諜報機関とも関係ないことをお断りしておく、フフフ。