マーチン・シノック、かく語りき

マーチン・シノックというのは英国人DJでコンゴ音楽ファンだ。本人に言わせるとBBCのワールド音楽のDJをしたこともあるアフリカ音楽の権威だった (笑)。私は1997年頃から2004年頃まで彼と手紙やメールを交わしていた。彼を紹介してくれたのはロンドンにあるスターンズというアフリカ音楽専門 店で、「オマエ、こいつと連絡を取ってみろ。きっと気があうはずだ」というスターンズの紹介でマーチンとの交流が始まった。スターンズは英国のお店によく ある冷淡な客あしらいをするところだが、この時だけはまるでポン引きのように熱心にマーチンを勧めたのだった。

彼は本業はサラリーマンなのだが、週末になるとパリやブリュッセルといったコンゴ音楽が盛んな地域に移動し、コンサートを見てアルバムを買うという、何と いうか道楽の極地の生活をしていた。当然ながらコンゴ音楽に関する情報の宝庫なのだが、この頃はキンシャサの現地シーンに関する情報は日本のほうが上だっ た。そうした生情報を翻訳してマーチンに送ると彼はマタタビが与えられた猫のようになめつくしたのだった。

だが仲が良いという訳でもなく、「このアルバムは糞だがオマエのように糞趣味の低レベルのコンゴ音楽ファンは気に入るかもしれん」とマーチンが言うと「寝 言は寝て言え、このアルバムの良さがわからないならコンゴ音楽を聴くのを止めてアメリカ黒人音楽でも聞いたらw」と私が答えるという相当に毒の入ったメールを 交換していた。マーチンは同じコンゴ音楽ファンである私から見ても異常なほどコンゴ音楽に入れ込んでいた。だが、彼はキンシャサに行くことを極度に恐れて おり、実際に現地に行き音楽シーンを経験した私にはそれなりのリスペクトを払っていた。

マーチンは母国語である英語と同じレベルでフランス語も堪能で、ベッドで覚えたリンガラ語もかなりのものだった。彼はフランスのFM局でDJをしたことも あるという(本人申請)。もちろんフランス語でだ。だがコンゴ音楽には隣国アンゴラの要素も入っており、アンゴラの公用語はポルトガル語ほかだったために その部分は私の方が上だった。常識ある一般人から見ればどちらも社会の落ちこぼれでしかなかったのだが・・・

マーチンはロンドン郊外にあるブライトンという都市発のネット放送局"Totally Radio"でレギュラー番組を持っていた。彼は自分の番組の中で私が演奏している曲を数回かけてくれたこともある。その当時の私のやってた音楽はコンゴ 音楽とかけ離れたファンク/ボサであり、何故かけてくれたのかは不明だが苦情が殺到したとも聞かないのでそれなりにリスナーに受け入れられたのだろう。1曲だけ mp3を出してみよう。

Sailing

ある日、マーチンは私にメールを寄こした。彼はロンドンに出てきてアルバムを作れと勧めた。私が一度激賞したことのあるアンジェラ・ルフィーノというギタ リストがロンドンでアルバムを制作しようとしてるが私が加わり共同制作にしろ、そうすればきっと面白いものができると彼は言った。だが私は即座に断った。 同じギタリストであるアンジェラ(ちなみに男性)と一緒に何かやっても面白い物ができるとはとても思えなかったし、はっきり言えば金が無かったからだ。こ の話はそれで流れてしまったが、後にアンジェラ・ルフィーノは商業ベースで最も成功したコンゴ人歌手カンダ・ボンゴ・マンの専属ギタリストになったから、 彼に才能があることはわかる人にはわかってた訳だ。

その後、マーチンもコンゴの政情不安、内戦、それにともなうコンゴ音楽の急速な劣化から精神的に落ち込んだようで、ある日の"Totally Radio"の番組では舌がもつれるほどに酔っぱらってDJをした。私もまたコンゴ内戦の激化に伴い気分が落ち込み、コンゴ音楽への興味を失っていった。 2004年くらいだったろうか・・・

 それ以降マーチンとは音信不通になり私のロンドンを足がかりにした世界デビューも頓挫したのだった(笑)。