生涯をかけた猫との会話

サ ラリーマンをやってた頃の話だ。ある年の忘年会はそこそこ格式のある料亭の座敷を借りて行われた。それは、たまたま役職者の人事異動がその時にあり、忘年 会とお別れ会(笑)を兼ねて行われたからだ。大手新聞社の忘年会だからといって特に贅沢ということはない。私は新聞社を辞めた後、いくつかの組織で働き忘 年会にも出たが、極端な差は無かった。別にマスコミだから全てに贅沢という訳ではないのだ。

その忘年会の席上の事だ。ある程度みんな酔っ て座が盛り上がったところで座敷に毛並みの良い和猫が入ってきた。その猫は料亭が飼っている飼い猫のようだ。女性達中心に歓声が上がり、みんなは猫の注意 をひこうと「タマちゃん」とか声をかけるのだが猫は全く反応せず上座に向かい歩いていた。みんなは「猫が部長に挨拶する」とか盛り上がっていた。

そ の時、私はまじないを唱えた。「猫来い、猫来い、ミャーオ」と。そうすると猫はクルッと方向を変え私のほうに向かって2−3歩、歩み寄った。みんなは驚き 「ええっ、**さん、どうやったんですか」と訝しがった。私は「ちょっとしたトリックですよ」とだけ答えたが、それでなくても普段からコンゴ音楽しか話題 にしない私が猫語を喋ったことは尾ひれをつけて広まり「謎の怪人物」としての社内での地位を不動のものにしたのだった。

種明かしをすると ミャーオの部分を息を吸いながら発音するのである。人間の耳で聞く限り、吸気と呼気で発音したミャーオに何ら違いは聞き取れない。だが猫に取っては、この 2つは全く異なるらしく、息を吸いながらミャーオというと仲間の呼びかけに聞こえる。嘘だと思ったら、ご自分の飼い猫でもノラ猫でも相手に試してみるとい い。本当に反応が全く違うのだ。

何故、私は猫語を知っていたか?これは猫共和国に留学して覚えたから・・・・・ではなく、当時は動物行動 学に興味を持っており人間と動物の違いあるいは意外な共通点に関して様々な本を読んでいたからだ。だが、この吸気で喋ると反応するのは猫だけのようだ。何 故かというと我が家ではずっと犬を飼っており、犬にもアクセントやイントネーションを変え話しかけたことがあるが一度も反応が無いからだ。

と ころで私が80年代の日本語エッセー集として非常に高く評価していた本に稲垣美晴さんの「フィンランド語は猫の言葉」がある。文化出版局からハードカバー として出版され、オタク的な文学ファンから支持された。私は稲垣さんのユーモア・センスに非常に感心し、以前に書いた村上H氏を担当する出版同期に「ウチ から出せよ」と勧めたことがある。確か、出版に遊びにいった時に「今、面白いと思う日本人作家は?」と聞かれたので「椎名誠と稲垣美晴」と私が答えた時の ことだ。彼は椎名誠さんは知っていたが、あまり評価してないようで却下した。だが稲垣美晴さんは全く知らなかった。彼は読んでみると言ったが、結局あまり 感心しなかったようだ。

その後、私も稲垣さんのことを20年以上忘れていたのだが、このエッセーを書いてるうちに想い出し検索して驚いた。ご自分の出版社を立ち上げていたのだ。

猫 の言葉社は、フィンランドの文化を日本の皆様に伝える出版社として、2008年4月にスタートしました。児童文学を中心に、フィンランドの文学、美術、歴 史に関する書籍を刊行いたします。さらに、本が生まれた背景や作者についてなど、さまざまな情報を詳しくご紹介してまいります。

株式会社 猫の言葉社
〒157-0073 東京都世田谷区砧6-20-14
TEL 03-3415-6015 FAX 03-3415-5090

実 質的に稲垣さんの個人出版社のようだが、この人が「フィンランド語は猫の言葉」を書いたのは1981年だ。それから30年近く経って、未だに同じ路線を貫 いている、これは正直すごいと思う。この人の文章はハングリー感の無い透明感のある良質なユーモアで溢れていたから、裕福で良い家柄のかたなのかもしれな い。

そして、今「フィンランド語は猫の言葉」で検索すると結構な数のヒットがある。こうした形で20年、30年とかけて良質なものがさらに良質に醸成される、これこそ文化だと私は思うのだが。

グーグル検索結果 ↓

 フィンランド語は猫の言葉 の検索結果 約 57,700 件中 1 - 10 件目 (0.29 秒)