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異なる価値を認めない人たち
私は滅多に病気をしないのだがサラリーマン時代、一度ひどい肺炎にかかったことがある。この時は1週間会社を休んだ。とうとう上司が怒り「きちんとした診断書を出せ」と言い出した。仕方がないので近所の外科に行き症状を説明すると、すぐにレントゲン写真が撮られた。
で
き上がってきたレントゲン写真を見ていた医師はそのうちにレントゲンのある箇所を凝視しだした。何回か首をかしげた後に、この医師は「タバコは吸われま
す?」と聴いた。おいおい、そういう無神経な聴き方をするなよと思った私は「一度もタバコを吸った事がないので肺ガンの可能性は無いと思います」と答え
た。ところが医師は疑わしそうに私を見て、再度レントゲン写真の特定箇所を眺めた後に「大学病院への紹介状を書きましょうか?」と言った。何がなんでも肺
ガンにしたいらしい。私は怒り、適当に誤魔化して自分のアパートに帰った。
だが症状は良くならないので、ひたすらベッドの上で動かずじっ
としていた。その内にドアホンが鳴った。ドアを開けると会社の女性同僚だった。病気の見舞いに来たというのだが、その割にはまるっきり手ぶらであった。彼
女たちは「意外と元気じゃない」などとしゃべり出した。正直、迷惑このうえないので早く帰ってくれないかと考えていると「オマエの好きなコンゴ音楽とかを
聴いてやる」と言い出した。いや、聴いていただかなくても結構ですと言っても帰ろうとしないので仕方なく、先週買ったばかりの新譜ベニコ・ポポリポという
ザイコのギタリストによる「アムール・チチナ」という割と音が良く、こじんまりとまとまったLPをかけた。だが彼女たちは、ポポリポの超絶ギター演奏が全
く理解できないらしく「もっと面白いものはないのか」と理不尽なことをほざきだした。その内に彼女たちは部屋の奥においていた桂米朝落語全集カセット45
巻、2枚組LP50枚を見つけ出し「ええっ、米朝ファンだったのですか?」と騒ぎ出した。会社ではコンゴ音楽の話しかしないので日本の音楽文化や芸能に興
味がないと勝手に思っていたらしい。
当時の私は米朝師匠の芸を非常に高く評価しており、毎日日課として聴くだけでなく自分でも一部が再現
できる程度に落語の実践もしていた。正直なところを言うと、国が人間国宝に指定しないのは不当であるとすら思っていた。だが彼女たちは米朝師匠の偉大さも
理解できないようで、そのうちに飽きたのかやっと帰ってくれた。私は塩でも撒いてやろうかと思った。米朝師匠はその後、人間国宝に指定された。嚢中の錐、
やはり良いものは誰が見ても良いと私は悦にいったのだが、コンゴ音楽は評価されるどころかどんどん存在感を失っていった。
先日、
YouTubeでコンゴを代表する音楽グループ、ザイコ・ランガ・ランガ関連の動画を見ていたらバクンデ・イロ・パブロ追悼動画があげられていた。イロ・
パブロと言えば我々、日本のコンゴ音楽ファンからは狸親父の愛称で親しまれたザイコのドラマーの一人だ。へぇー、パブロも死んだのかと少し感傷的になっ
た。1つ動画を貼って見る。
http://www.youtube.com/watch?v=26Z5Ezj0-2I
如
何にもザイコらしい疾走感にあふれた演奏であり、この音楽を聴いて体が動き出さないアフリカ人はまずいないだろう。ギタリストは不明だがポポリポかも知れ
ない。この音楽の素晴らしさは今でも全くあせることなく、私は20世紀の人類の文化遺産に入れても良いと思う。10年くらい前はそれでも前に書いた英国人
DJマーチン・シノックのように私と同じ感想を持つ人がそこそこいた。
この早朝のサバンナ、気温がまだ上がらない時に、どこまでも延々と走り続ける感覚の気持ちよさが結局、理解できないのだろう。良い物が認められることもあれば、良い物が決して認められることなく朽ち果てていくこともある、それもまたこの世のありかたなのだろうな・・・・
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