精神障害者を家族に持つこと

兄 が第1級精神障害者だったために私は就職でずいぶん苦労した。特に40社近く受け採用通知をもらった企業が朝日新聞社、1社しか無かったというのには驚き あきれた。何故なら、私が卒業する年の文系希望就職先ランキングのトップが朝日だったからだ。私はこのサイトで朝日新聞社の偽善を告発しているが、時々胸 が痛むのも事実だ。何故なら朝日新聞社は私の兄が精神障害者であることを内申書および興信所の調査を通じて知っていながら、少なくとも採用をするだけの度 量があったからだ。これが社長面接で落とされた日本経済新聞になると、もはや感情が昂ぶり冷静に記述できない。

日本経済新聞社の最終面接 で精神障害者の私の兄を社長をふくむ役員全てに嘲笑されて・・・・(以下、削除されました)。まあ、心を落ち着けて書くと大きな心の傷となった訳です (笑)。忘れようとしても夜、寝ているなかで感情が昂ぶり、反射的に歯で舌を大きくかみ痛みで眼が覚めたことは無数にあった。この日経での事件は私の心と 神経をズタズタにした。今、自分の部屋を見渡してもあちこちに褐色のしぶきがかすかに残っている。それは何かというと、舌をかんで眼がさめた時にはき出し た血の血痕が風化したものだ。という訳で、もし私が明日、末期ガンを宣告されるならそれはそれでやることが・・・(以下、削除されました)。

こ の時の経験以来、私はニヒリズムをベースにして生きるようになった。いや、それも正確ではないな。元々、コンゴ音楽の素晴らしさを理解できない人と話をし ても意味がないと高校生くらいから考えていた。自分で最初から門戸を狭めていた訳だ。だが世の中のしがらみというのは私の考えとは別にあり、34歳になっ た頃、血痕、いや結婚紹介所に一度申し込めという圧力が高まった。私は社会体験として面白いと思い、ある機関に登録した。名前を挙げると営業妨害になるの で挙げないが、ここで登録書類を書いている時に、家族欄に私は兄(第1級精神障害者)とはっきり書いた。後でもめるのがイヤだったからだ。だが、その機関 の人は私の書き方を嫌がり、自宅療養とかに変えろと言った。だが私も50万円もの「紹介料」を払う以上、「理解のある人」を紹介してくれるだろうと期待し て、そのままの記述で書類を書き会費を払った。

だが1ヶ月経っても、2ヶ月経っても何の連絡もこなかった。ここは1ヶ月に最低、一人は紹 介したしますという条件で高い入会料金を取っているのだが彼らは約束を守らなかった。そして半年くらい経った時に、すでに書いた朝日新聞社による報復人事 が始まり私は辞めることになった。その後、この機関の事務所に行くと「どなたもご紹介できませんでしたので入会料は返金します」と言われた。お金を返して くれるなら、別にそれでかまわないのだが一体、世の中の女性は男性に対し何を求めているのか疑問に思ったのも確かだ。

当時の給与は年間 900万くらい、身長は178cm、学歴や勤務先は世間の平均よりは良かった、英語やポルトガル語などの技能を持つという書類を出した時、私は週に1回く らいは連絡があるだろうと期待していたのだが、世間はそんな甘いものではなかった。今、思えば「兄が精神障害者で何が悪い」と言わんばかりに書類にはっき り家庭事情を書いたのが、敬遠された理由なのだろう。

私はネット右翼に分類されているらしいが、正直なところを言えば、それほどの愛国心 は無い。それは「自分は地球市民である」とはっきり書いていることからもお分かりいただけるだろう。私が自由民主党を支持しているのは、毎日コンゴ音楽を 聴き楽しみ楽器の練習をしワインを飲むという今の生活を守る上で自民がベストだからに過ぎない。

時々、私は日本という国に生まれるべきで はなかったと正直に思う。非常に残念な話ではあるが、私にそういう感想を抱かせるのは右翼の方々が賞賛する伝統的日本社会である。私は右翼でも左翼でもな いと何回も言ってるが、それは別に言葉遊びをしている訳ではなく、旧来の日本社会への憎悪が心の底に残滓となり残っている以上、右翼を支持する気がおきな いのだ。それはオマエの人間としての器が小さいという批判は甘んじて受け止めよう。

あなた達は夜中に怒りで舌をかみ血を吐き出す体験をどれだけされたのか・・・・・・・