明暗を分けた漱石の子孫たち

夏目漱石の子孫と言えば孫である夏目房之介氏が有名だ。だが、漱石の子孫は房之介氏以外にも当然ながら存在し、その一人とは何回か酒を飲んだこともある。何故なら彼、とりあえず夏目B助と呼ぶが、は朝日新聞の社員だったからだ。

ま ず漱石と朝日新聞の関係を説明しなければいけない。昔、新聞の売れ行きが連載小説の人気で決まる時代があったそうだ。これはジュラ紀・白亜紀の話ではな く、明治・大正の話である。当時の売れっ子作家に夏目漱石がいた。漱石の連載小説があまりに人気を呼んだため、朝日新聞社は漱石を正社員として雇用するこ とにした。そして朝日新聞社員として漱石が書いた小説がまた人気を呼び、とうとう朝日新聞社は漱石に朝日新聞社の株を譲渡した。朝日は非上場故に株をも らっても意味がないのだが、勲章と考えれば良いだろう。何故、私がそうした事情を知っているかというと社内研修などの場でポロッと話がでるからだ。関係な いが朝日新聞と伊勢新聞は実は姉妹紙である。昔、三重で営業していた新聞社のうち大阪に出た一派が朝日新聞になり三重に残ったほうが伊勢新聞となった。こ れも社内ではよく出る話題だった。

私は朝日新聞名古屋本社で働いていたのだが、広告のフロアの近くに総務・人事があった。そこに夏目さん と呼ばれる人がいた。私より4−5歳くらい上だったと記憶している。この人は軽い知的障害者であり、よく社内をフラフラと歩いていたのだが、ある日、広告 に迷い込んだ。そして何故か私に今晩、飲みにいこうと誘ったのだった。若くて綺麗な女性ならともかく、夏目B助氏に誘われても楽しい訳が無く私は断ろうと した。だが広告の上司は「良いことがあるかも知れん。ぜひ、飲みに行け。これは業務命令だ」と意味不明な事を言った。という訳で仕事として私は夏目B助と 飲むことになった。だが周囲の人は「あの人は散々、飲んでおいて勘定の前にフッといなくなるから注意しろ」と助言してくれた。この人は自分で飲みにいこう と誘いながら、勘定は相手が払うのが当然という風変わりな考えを持っていた。

という訳で、ちょっと高級な一杯飲み屋に夏目B助氏といくこ とになった。この人は私の個人情報に関心があるらしく、趣味は何だとか家族構成はどうだとか訊いた。すでに私が生演奏を聴くためにコンゴに行ったことは 知っていたらしく、しきりにそこらを尋ねた。理由は不明だが、この人はボケをよそおって社内情報を集めていたのかも知れない。なにしろ総務・人事の人であ る。あるいはコンゴに音楽を聴きにいく人間に同じボケの匂いをかぎつけたのかも知れない。確かに世間の常識で計れば、生演奏を聴くというだけでコンゴまで でかける人間は「知的障害者」に分類されても仕方ないだろう。そして、皆がアドバイスしたように酒席が終わろうとすると、夏目B助氏はトイレに行くふりを して店から逃げようとするのだった。私は逃がすまいと「夏目さん、割り勘ですよ、割り勘」と何回か注意するはめになった。そして何とか2時間の酒席を割り 勘ですますことができた。

で、この夏目B助氏も夏目漱石の子孫の一人だった。資本面から説明すると、朝日新聞には村山家と上野家とい う2つの社主家があった。村山家が朝日経営陣と不仲であるために、朝日新聞が頼りにしていたのは上野家と夏目家、冷泉家などのその他株主だった。朝日新聞 社は夏目家をつなぎとめるために色々やっていた。それは冷泉家も同じであり、社員名簿を見ると冷泉のところに数人記載されていた。つまり朝日新聞社の最大 株主である村山家対策のために様々な人事工作が成されていた。これは(私が知る限り)純粋に資本の論理である。例え夏目B助氏が軽い知的障害者であろうと 雇用せざるをえない事情があったのだ。

夏目B助氏が漱石の子孫の陰とすれば光は夏目房之介だろう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E7%9B%AE%
E6%88%BF%E4%B9%8B%E4%BB%8B

そ のころ、しとうきねおの紹介もあり「漱石の孫が漫画を描いている」という話を聞きつけた『週刊朝日』の取材を受けた縁から、1978年に同誌の新コーナー 「デキゴトロジー」のイラストを担当するようになり、これが1982年に『學問』として夏目をメインとした漫画コラムへと発展するに至った。この連載が夏 目の名を有名にし、漫画コラムニストとしての評価を固めた。

 受賞 [編集]
1999年、第3回手塚治虫文化賞 マンガ特別賞 受賞(マンガ批評の優れた業績に対して)
 著書 [編集]

さて、夏目房之介は手塚治虫文化賞 マンガ特別賞 を受けるほど優れた漫画批評家兼漫画家なのだろうか?どうも違うように私には思える。そこでwikiとは異なる解釈をして見よう。

手 塚治虫氏の全盛期に悪書追放運動なるものがおきた。これを主導したのは社会党、朝日新聞、PTA、主婦連などの左翼だった。つまり朝日新聞は手塚治虫も込 みにして漫画やアニメそのものが悪であるとして紙面で叩いたのだ。ところが80年代終わり頃から海外でも漫画やアニメが評価されるようになった。特にバチ カンが聖書のアニメ化を手塚/虫プロに依頼したことが大きな転機となったように思える。ここで朝日新聞は姿勢を急変し、優れた漫画/アニメを育てようとい う主旨で手塚治虫文化賞なるものを創設する。これには既視感がある。そう、戦前・戦中はさんざん国民を戦争に駆り立てながら戦後になると突如として「9条原 理主義」に陥った朝日の過去の歴史、そのままなのだ。そして既に説明したように朝日新聞社の資本の論理から夏目家は冷遇することが許されない家系なのだ。 そうした背景を考えると夏目房之介が第3回手塚治虫文化賞 マンガ特別賞を受ける「必然性」が見えてくる。

注意していただきたいが、私は 自分の説明が正しいとは言ってない。ただ幾つかの事実とそこからの可能性としてありうる論理的演繹と帰納を指摘しているだけだ。wikiが書いているように夏目 房之介は多才な人物であり、顕彰に値するのかも知れない。私は漫画の専門家ではないので妥当性の判断はできない。

という訳で綺麗事も一枚、皮をはぐととんでもない事実が潜んでいるのかも知れない。結局のところ「真実」は誰も知らないのだ。だが陰謀論を排した多様な解釈は許されるべきだろう、鳩山民主党の下でも。最後に文豪夏目漱石が今、生きていたら私は一言言いたい。

「あのなー、酒を飲みにいこうと誘ったら最低でも割り勘にするくらいのマナーを子孫に叩きこんどけ」