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仏教は成長ビジネスである
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−8年ほど前、私の母親はお寺の仏教婦人会の会長になった。兄の精神障害故の「乱暴」がひどい時期であり、家から逃げたかったのかも知れない。だが、誰で
も仏教婦人会の会長になれる訳ではなく、過去帳のチェックとかが行われたようだ。当時、お寺から聴いた話だとウチの家系は過去300年くらい、この地に定
住し主に農業や漁業に就いたようだ。それはそれで、地に足がついた職業にご先祖さまが過去帳でさかのぼれる限り従事したという証拠であり、恥じる理由は何
もない。時々、自分の先祖は**藩の侍だったと自慢する人が居るが、それが現在社会においてどういう利点があるのか私には全く理解できない。
正
直に言えば、私が子供の頃はまだ半分農業で生活しており、私は田植え、稲刈り、芋掘り、鶏の餌やり(オオバコという野草を与えたり、丈夫な殻ができるよう
に貝殻を砕いて与えること)などほとんどの農作業はやったことがある。それが朝日新聞社に入ってからの、農作業経験が無いにもかかわらず成田農民の土
地への愛着を賞賛する社会部記者との論争や軋轢につながった訳だ。
仏教婦人会の会長というのは、ただのボランティアである。お寺の行事が
あれば、料理や雑事を手伝う、それに対しての見返りは一切出ない。そして私の母親は本当に献身的にお寺に尽くした。家族が心配して病気にならなければ良い
がと心配するほどに。それは良いだろう、宗教の信者が無償で奉仕するのは別に珍しくないからだ。問題は、母親が仏教婦人会の会長を辞めた後におきた。辞め
た後に急速に日本経済が悪化した。それは世界経済所以であり、日本になんら責任はないのだが、お寺というのはビジネスである。不況になれば利益率を上げな
ければならない。
ある日、住職から電話がかかってきて「オマエの先祖の100回忌が来月ある」と通知された。問題は、その100年前に死
んだご先祖を知ってる人が家族にも親戚にも一人もいない点にあった。100年前に死んだ人のことを覚えているのは、よほどの名家だろう。そして既に書いた
ようにウチはずっと農業か漁業に従事した訳で、100回忌をやるような誉れ高いご先祖様がいたとはとても思えないのだ。
だが、住職がわざ
わざ電話をかけてきて100回忌をやってやるという以上、断る訳にもいかず結局、いくらかのお金をお寺に渡したようだ。だが、これは根本的におかしいと思
う。仏教婦人会の会長として身を粉にして無給でお寺に尽くした見返りが、名前すら聞いたことのないご先祖の100回忌というのは妥当なのだろうか?むしろ
戒名をタダで与えるとかのほうが、相応しい見返りだと私は思う。
不況になったから過去に例がない100回忌をやるというのは、もはやユスリ・タカリだ。これから不況がさらに悪化すれば105回忌、110回忌、120回忌、125回忌といくらでも信徒からお金を強請ることができる。
徳
川家康がキリスト教を封じる手段として、全ての日本人がどこかのお寺の門徒になる事を命じた。それはメリット、デメリット両方あるのだろう。だが、今のお
寺のビジネス・ライクなやりかたに我慢がならないと思うのは私だけだろうか?結局、現在の日本社会ではびこっている様々なカルトの源流は仏教/檀家制度にあるように思え
てならない。何故なら檀家制度は檀家という既得権益を生んだからだ。そして宗教が儲かることを証明したからだ。
ちなみに私自身は、そうした考えと完全に切れており、住職に対し「仏典のどこに先祖を敬えと書いてあるのか?」と訊いたりする。神道の教えにあるように、日本人として清らかな生き方をしてれば、どこかの神様がひろってくれるという素朴な信心で私には十分である。
だが一般日本人は私のように考えてない訳で、そういう意味ではこれからの最大成長ビジネスは仏教をふくめた宗教/カルトだろうと漠然と思うのだった。
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