新聞の「本当のビジネス・モデル」の崩壊 

す でに過去のエッセーで、社会部記者が原発に関して不安をかき立てる記事を書き、国から補助金を(間接的に)受けている電力会社が国民の不安を静めるために 「原発は安全なんですよ」という新聞広告を出すという新聞社の構造的欺瞞について書いた。この詐欺が良くできているのは、社会部記者は原発の危険性を国民 に知らせ、愚民どもを啓蒙してやると本気で信じている点だ。その裏側には新聞社広告局が存在し、電力会社に営業が行き「これだけ不安が高まった以上、もっ と原発の安全性をアピールする必要がありますね」と脅す。結果として、公共性の高い企業である電力会社は新聞広告をさらに出すことになる、だが広告営業の 視点から見れば現実に国民の不安が高まっている以上、新聞広告を出すことで不安を静めるのは企業の社会的責任から見て必然であり、広告を出すように勧める のは新聞社広告営業として当然の行為である。

ここでは完璧に役割分担が出来ている。ヤクザや総会屋の場合、ユスることにより金銭的見返り を受ける事をユスルひとが理解している。新聞社の場合は、記者も広告営業も自分たちの「仕事」をこなしているだけなのだが、結果としてはヤクザや総会屋 と同様にユスリ・タカリによる利益が生じる。つまり新聞社がやっている詐欺は非常に洗練された高度なレベルの詐欺なのだ。一方では、論説委員様が愚民ども を啓蒙してやるという記事を書き、その裏では広告が立ち回り「ここまで国民の不安が高まった以上、広告を出して不安を静めるのは国/企業の義務でしょう」 と脅す。誰が考えたのか知らないがありえない程素晴らしい「ビジネス・モデル」である。

ユスリ・タカリの対象には企業だけでなく当然、国 や地方自治体も含まれる。例えば何らかの薬害や新型インフルエンザに関し不安を煽り政府の対策が不十分であると批判することにより、政府は本来、予定のな い政府広報を出して国民の不安を静めなければならない。そして政府広報が出ると、新聞社はタンマリと広告収入をいただく事ができる。問題なのは、その政府 広報の広告費は国民の税金が原資だという点だ。つまり新聞社は「税金泥棒」だ。

もっと極端な例を言えば、新聞社の広告収入が大きく落ち込んだ 時は、解散/総選挙により民意を問えという綺麗事を並べることで、結果的に膨大な選挙広告という臨時収入を得ることもできる。この選挙広告は政党交付金な どから払われており、政党交付金というのは国民の税金を原資にしている。つまり新聞社は自分たちの「正義の主張」をすることにより、国民の税金を自由に食 い物にするという希有な特権を保有しているのだ(TVも同様と思われますが、私は放送業界で働いたことが無いためTVに関して責任を持って主張することが できない以上、対象から外しています)。

ところで今の時点(2009.10.10)で、このビジネス・モデルが機能していないようだ。まず 政府=行政の責任者は鳩山民主党内閣である。新聞が鳩山内閣を叩くことは可能だが、そうすると麻生自民党内閣をホッケの食べ方まで理由にあげてけなした過去の行 動と矛盾する。朝日、読売、毎日、日経、産経、全てが麻生自民党内閣の揚げ足取りをした、その結果として選挙広告という美味しい臨時収入が生まれた。だ が、鳩山内閣を叩いて、年内に再度の衆議院選挙を行った場合、選挙広告という臨時収入は確かに2回分入るだろうが、国民は、新聞は何を根拠に内閣/与党を 攻撃・非難しているのか疑問に思うだろう。

最近、読売新聞は徐々に論調を変えているようだ。だが、東京大学法学部教授北岡伸一氏が読売新 聞の1面コラムで「自民党と民主党の政策にほとんど差は無いから連立政権を作るべきだ」と主張されたのはわずか2ヶ月前の話である。読売がお花畑路線を修 正するのは日本に取り良いことかも知れないが、あえて読売が選挙直前に一面に掲載した北岡伸一氏の主張との整合性はどうなるのだろうか?もし読売が過去1 年、繰り返し主張したように「自民党と民主党の政策にほとんど差が無いから連立政権を作るべき」なら、再度の選挙など不要である。民主党政権はこれから徐 々に落ち着き「自民党的政策」に収斂するはずだからだ。もし読売新聞が鳩山民主党批判をするなら、その前に「我々の、自民党と民主党の政策にほとんど差は 無いから連立政権を作るべきだ、という主張は完璧に間違っていました。混乱をおこした事に関して読者の方々に深くお詫びします」という社告があるべきだ。 何故、他人の間違いは常軌を逸してまで叩きながら、自社の間違いには寛容で無責任で良いのか、その根拠がもし存在するならぜひ示して欲しいものだ。

朝 日や毎日はずっと極左メディアだった。彼らの行動には一応、整合性と一貫性がある。過去1年の読売と産経の論説には過去の主張との整合性がない。大体、国民の低俗 な思考に媚びる朝日新聞の無責任な論調をポピュリズム(大衆迎合主義)と批判・非難してきたのは渡辺恒夫/読売新聞である。それは「読売対朝日」という一 連の社説比較本で一貫して主張されてきたことだ。下の書籍で成された主張は一体、何だったのだろうか?

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こうした事情により、現 在の与党である民主党を新聞が叩くことは、過去の自分たちの主張の否定になるから難しいことがわかるだろう。では企業はどうだろう?実際、新聞はJR西日 本、赤福、吉兆、不二家といった企業をリンチのごとく叩いてきた。今、同じことを今、トヨタに対してやったらどうなるだろう?

もし私がトヨタの担当者な ら、全新聞に4ページぶち抜きお詫び広告を定価で載せる。その上で、トヨタがこれまでに支払った広告料金は押し紙の存在を考えると明らかに払いすぎである から過大広告料金分を利息つきで返還せよという民事訴訟をおこす。同時に、押し紙の存在を隠して広告料金を設定していたのは明らかに詐欺だから検察に対 し、全新聞社を告訴する。それくらい企業の意識は変わったと私は考えている。

つまり政府や企業を記事で叩き、広告の売り上げを増やすという新聞社の「総会屋ビジネス・モデル」が今、完全に機能しなくなったように私には見えるのだが・・・・・