サラリーマンの出世分岐点

私 がいた頃(1980年代後期)の朝日新聞は日本最強の広告媒体だった。これは自己評価ではなく、広告系専門雑誌や業界紙を見てもTVなどとは次元の違う広 告媒体として評価されていた。当然、朝日新聞の中では傍流の広告と言えども東大卒くらいはゴロゴロしていた。その頃の話を書いてみよう。

ま ず朝日新聞が日本最強の広告媒体と言っても、それは東京本社のことであり、名古屋本社での広告の仕事は地方紙と大差なかった。順位をつければ東京本社 >>北海道支社=大阪本社>西部本社>>>>名古屋本社といった感じだった。北海道支社の順位が高いのは一応、東京 本社の管轄だからだ。西部本社というのは九州・山口担当本社なのだが名古屋よりは上だった。何故かというと名古屋は中日新聞という地域独占ブロック紙が存 在し、また名古屋という土地の排他性も嫌われたからだ。実際、東京本社から名古屋本社に飛ばされてノイローゼになり自殺した人が広告だけでも数人いたらし い。私も東京築地本社から名古屋本社への人事が発表された時には周囲から「気を落とすな、3年我慢すれば東京に戻れる」とか「死ぬなよ」と言った親身のア ドバイスを受けた。正直なところを言えば、名古屋本社の仕事がどうこうというより、名古屋という土地の排他性には本当にまいった。都会の外観をしたド田舎 なのだ。

東京本社でも名古屋本社でも最初は広告審査・校閲の仕事をした。東京本社にいた頃、面白い事件があった。ある不動産分譲広告の中 にブランチという言葉が使われていた。ところが広告審査の課長とスタッフ(20人くらい)はブランチという表現は誤植でランチに直すべきだと考え、広告会 社(確か東急エージェンシーだったと思う)に連絡を取るのだが、東急の営業も全く要領をえなかった。さらに広告主とも連絡が取れなかった。降版まで1時間 くらいの時点だった。この広告は夕刊全面広告であり、それなりのお金がかかっていた(1500万円くらいか)。ブを削ってランチにしようという方向に広告 審査が向かった時に、私がブランチというのは遅い朝食という意味のアメリカ英語で全く問題ないと指摘すると、「キミは自分の主張に責任がとれるか?」と聞 かれた。私が確信があると答えると、ならこの広告原稿にキミのサインをしろと彼らは言った。私は本当に自信があったので「問題がおきた場合、全ての責任を 取ります」という署名をした。次の日に東急から電話があって「問い合わせがあったそうですがブランチでOKです。もしランチに直されてたら金が取れなかっ た」という返事があった。

今、考えればサラリーマンとしては馬鹿げた行為をした。何故なら、もし広告主がランチが正しいと主張すれば私は 1500万円の広告を台無しにした責任者として始末書、下手すると減給処分を受けた。一方で、私がブランチを保証したことで何らかのメリットがあったかと いうと何も無かった。何故なら、人事を決めるのは広告審査より上の層であり、そこまで私がやった行為が届かなかったからだ。サラリーマンはこんなものなの だ。

名古屋本社に移っても、やはり広告審査・校閲をやったのだが、ある日、東京本社送りの自社組み書籍広告に10ヶ所ちかい誤りを見つけ た。私は東京本社広告2部(書籍広告担当部署)に誤りを指摘したのだが、担当者が偶然に休みをとっており連絡がつかなかった。数時間、ドタバタした後、私 の指摘した誤りは全て本当に誤りであることが確認され、東京本社送りの書籍広告が降版ちょっと前に訂正されるという事件がおきた。

私は、 この時の自分の働きを誇りに思っていたのだが、ある日上司から冷水を浴びせかけられた。「キミが余計な指摘をしたから東京本社広告2部は恥を書いた。ほっ とけば良かったのだ。どうせ、間違いを指摘したキミは何ら評価されないし、広告2部の担当者の処分は変わらなかったからだ」というものだった。

こ の頃、私はすでに広告審査から広告営業に移っており、上記コメントをしたのは広告2部K課長だった。課長は冷ややかなコメントをした後に、しばらく間をお いて言った。「オレもな、昔大きな間違いを見つけたんだよ。それは朝刊の日付が間違ってるという考えられないものだった。だがオレはすぐに編集校閲と印刷 に連絡をし、訂正されて実害無しで終わった。で、評価とかゼロなんだよ。あの時、オレが印刷が始まって30分くらい立ってから気がついたふりをして連絡を してたら社から表彰されてただろう。あえて実害が出るまで放置してから通知するんだよ、そうすればキミも東京本社に戻れたかも知れない」と課長は自嘲気味 に語った。

こうした社内の体質も「何時、辞表を出すか」という自分の考えに拍車をかけたのだった。