ヨウジ・ヤマモトとコンゴのファション美学

http://www.nikkei.co.jp/news/sangyo/20091009
AT2F0900S09102009.html

ヨウジヤマモト、民事再生法を申請 負債総額60億円

  パリコレクションなどにも参加する山本耀司氏がデザイナーを務めるヨウジヤマモト(東京・品川、大塚昌平社長)は9日、東京地裁に民事再生法の適用を申請 することを決めた。負債総額は約60億円。欧米での出店など過大投資が重荷となり、資金繰りに行き詰まった。投資会社のインテグラル(東京・千代田)が支 援先となり、再生に乗り出す。

上の記事をコンゴ音楽ファンとして複雑な思いで読んだ。何故かというとヨウジ・ヤマモトは私がコンゴに行った頃、もっとも人気のあるファッション・デザイナーだったからだ。まず背景を説明したい。

コ ンゴにはサップと呼ばれる独特のお洒落美学があった。このサップと呼ばれる美学とコンゴ音楽は密接に関係していた。最初にヨウジ・ヤマモトに眼をつけたの は歌手パパ・ウェンバかエメネヤ・ケステール、この二人のどちらかだった。この二人の歌手のファンはほとんどがキンシャサの市内をうろつくチンピラだっ た。彼らはコンサートを見る時のファッションに異常にこだわった。私が行った頃は、ヨウジ・ヤマモトのスーツを着込んでコンサートに臨むファンが「最高に 美しい」ファンとして尊敬された。だが、チンピラにヨウジ・ヤマモトのスーツを買う金があるはずがなく、彼らは専門業者からコンサート用にスーツを借り て、ライブ・ハウスに入った。

私も同じライブ・ハウスにいた事があるのだが、南緯5度、ほぼ赤道直下のキンシャサ、エアコンも何もないコ ンクリート打ちっ放し、天井無しの演奏会場でスーツを着込んだコンゴ人を見るのは非常に不思議な感じがした。私はずっと彼らを観察していたのだが、彼らは 音楽すらほとんど聴かないのだ。ただ、仲間内でビールをチビチビと飲んでいた。ちなみに私はジーンズにTシャツだったが、それでも暑いくらいだった。1時 間以上経っても彼らは他のコンゴ人からの羨望の視線を楽しむだけで踊ろうともしなかった。彼らが踊ったのは演奏が最も盛り上がった時の数分間だけだった。 そして又、テーブルに戻りつまらなさそうにビールを飲んだ。何故なら彼らはサプールだったからだ。

サプールというのはサップの美学の体現者という意味だが、彼らの考えは日本人である私には理解不可能な部分があった。

1.一日一食もままならない状態で、どうして高い金を払ってヨウジ・ヤマモトのスーツを借りてライブに臨むのか?
2.せっかく生演奏を聴きに来たのに何故、彼らは音楽も聴かず踊ろうともしないのか?

こ れはサップ独特の美学の世界であり、理屈を言っても始まらないのだが、彼らのほとんどシュール・リアリズムに近い美的センスに呆れたのは確かだ。ヨウジ・ ヤマモトのように、かなり前衛的な服をさらにドレス・ダウンするというのが当時のサップの粋だった。一方では、NYのマフィアにあこがれて厚い黒の革ジャ ンを着て、下は厚い生地のジーンズで決めるというのもサップ的にはOKだったようだ。

しかしである、南緯5度のキンシャサでヨウジ・ヤマモトのスーツを決め込んだり、厚い皮ジャンを着るというのは私から見ると信じられない部分があり「こいつら一体、何を考えてるのか?」と疑問に思ったのも確かだ。

コ ンゴ音楽においてはエレンギ(elengi)というものが重視された。これはコンゴ人にしか理解できない魂のレベルでの音楽の美しさを表現しているらし い。ソウル・ミュージックにおけるソウル(魂)のようなものらしいのだが、コンゴ音楽をたくさん聴いていると確かにエレンギとしか表現できない黒光りする 音楽の美しさが存在することは理解できるようになった。だが何故、赤道直下に近い環境でヨウジ・ヤマモトのスーツを着込む、あるいは厚い黒の革ジャンを身 につけるのか私は今でも理解できない。それは日本人である私にはコンゴ人のサップの美学が理解できないということを意味するのだが・・・・・

ちなみに山本耀司さんは、こうしたアフリカ圏での崇拝者の存在を知っており、そういう形で祭り上げられることを嫌うコメントを出していたと思う。