沖縄漂流 − 日系ペルー人は陽水が好き

(このエッセーは1989年秋に1ヶ月ほど沖縄に滞在した時に経験したことを2002年頃に文章にしエッセーにまとめ、さらに加筆しました)
 
確か、コパカバーナという名前のバーだったと思う。1989年の那覇での話だ。ボサノバ・ファンの私は名前に魅かれて、お店の前に立っていると何とコンゴ音楽が聞こえてきた。興味を持った私はお店に入った。

20 人収容くらいのお店に半分ほどお客が入っていた。残念ながらコンゴ音楽は有線放送のアフリカ・チャンネルを流していただけであり、コンゴ人がアルバイトで 沖縄に来て演奏しているという私の期待は簡単に崩れた。しかし、お店の雰囲気が少し違っていた。異国の言葉が交わされているのだ。耳をすますとスペイン語 とポルトガル語の両方が話されているようだ。実は、そのバーは日本に出稼ぎにきている日系ブラジル人やペルー人のたまり場だった。

若干、 居心地の悪さを感じながら酒を飲んでいると、一人のかなり酔った青年がギターを持ってミニ・ステージにあがり井上陽水の歌の弾き語りを始めた。2曲目を彼 が歌っている途中で、突如としてお店のマスターがスペイン語で何かを怒鳴った。怒ったマスターはその青年からギターを無理矢理、取り上げ、日本語で謝りな がら「イパネマの娘」などのボサノバ・スタンダードをバーデン・パウエル風に演奏した。コパカバーナというお店の名前はマスターがボサノバ・ギター演奏を するところから来たようだ。

私は面白いと思い、その青年を自分のテーブルに呼んだ。

「陽水が好きなんですか?」
「好きです。ペルーから日本にきて初めて聞いたとき本当にビックリしました」

彼は日系ペルー人だったが、日本語もかなり上手だった。

「さっきマスターは何を怒鳴ったんですか?」
「お前はペルー人だろ、スペイン語の歌を歌えって言ったんです」
「ペルー音楽より陽水の方が好きなんですか?」
「今は陽水が好きです」

これは以外だった。井上陽水はとてもラテン系に受ける歌手とは思えなかったからだ。しかし、この体験の後、名古屋に戻り陽水の歌を聴きなおして見たら意外なほどにヨーロッパ的な、つまりラテンアメリカ的香りがするのに気がついた。

演奏を終えたマスターが戻ってきて、彼とスペイン語で何か会話をした。

「あなたはギターを弾きますか?」
マスターは私に聞いた。
「少しなら」
「じゃあ、セッションやりましょう」

私はナイロンギターを渡されて急遽セッションをやることになった。

「コード進行は?」マスターは私に聞いた。
「メージャー7th系の循環コードでお願いします」

マ スターが自分のギターでサンバ・リズムを刻んだ。私はソロ・パートを弾いたが、バーデンの技術を身につけたマスターには満足できないらしく、セッションは すぐに終わってしまった。さっきのペルー人青年は離れたテーブルで仲間たちとスペイン語で会話をしていた。もう少し、話を聞きたかったのだが。

私は会計をすまして店の外に出た。そこには日本の普通の繁華街が広がっていた。どこからもスペイン語もポルトガル語も聞こえなかった。私は何か不思議な感じ、ちょっとした違和感を覚えたのだった。