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アントニオ・カルロス・.ジョビンによる盗作と殺人
すごい題がついたエッセーだが、ここで私が主張していることはあくまで仮説であり別にこれが真実だと主張している訳ではないことを最初にお断りしておく。
A.C.
ジョビンによる盗作と殺人という題が示すようにボサノバを代表する作曲家アントニオ・カルロス・ジョビンの作品は盗作ではないかと私は疑っている。では
ジョビンは誰の曲を盗んだのか?これは1960年に「心臓発作」で無くなったアフリカ系ピアニスト、ネウトン・メンドンサの曲である。
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年代のジョビンの最大の音楽的パートナーがネウトン・メンドンサだったことは定説と言っても良いだろう。二人は何時間もピアノで連弾をするくらい仲が良
かった。これは「事実」である。そのネウトンが1960年に「心臓発作」(強盗に襲われたという説もあり)で死んだ時に、彼が書きためていた楽譜が全て消
え去った、これも事実である。この楽譜に関しては誰かが盗んだ、持ち去ったと言われている。
ジョビンの作曲歴を見ると、初期の作品「浜辺
のテレーザ」には作曲の斬新さもボサの感覚もない。凡庸なポップ曲だ。最初にボサノバという言葉が出てきたのはジョビン作曲、ネウトン・メンドンサ作詞の
ジザフィナード(1958年)である。実際にボサノバ曲としてヒットしたのはシェガ・ジ・サウダージという曲なのだが。
そしてジョビンの
代表作である「イパネマの娘」、「ワン・ノート・サンバ」、「波」などは全てネウトンの死後、発表されている。だがジョビンが新鮮な感覚にあふれた名曲を
書いた期間は短く、70年代に入ると作曲ペースが一挙に落ちる。これをネウトン・メンドンサとの関係で説明したのはサンバ評論家の大島守さんだった。大島
さんの説では
1.ネウトン・メンドンサは何者かにより殺害された 2.同時にネウトンが書きためていた楽譜が誰かにより持ち去られた 3.ジョビンの初期曲はボサノバ的感覚のないありふれたものだった 4.ジョビンの名曲と言われているものはほとんどネウトンの死後に発表されている
ここまで指摘されながら大島さんは「これから先はアガサ・クリスティーのような推理作家におまかせしよう」と逃げてしまった。確かにあまりに「危険」な推論だ。だが、その文が示唆していたのは
1.ジョビンはネウトン・メンドンサ殺害に何らかの形で関わっている 2.ネウトンの楽譜が殺害と同時に持ち去られたために、ジョビンがネウトンの楽譜を基礎にして自分の曲を作っても誰も盗作と非難できなかった 3.だがネウトンの書きためていた楽譜の数は少なく、そのストックを使い果たしてからジョビンは「名曲」をかけなくなった
という多くの音楽ファンが凍り付く内容だった。これに関しては何ら新しい資料が無いため、大島守さんがそういう指摘を過去にしたという事実だけを指摘して終わりにする。
以
下はコンゴ音楽ファンである私の推論である。私はボサノバのボサというのは何かずっと不思議に思っていた。それがリオのスラングであることは間違いないの
だが、定説はコブとか癖を意味すると説明していた。ノバ(nova)というのは英語のnewと同じ意味の形容詞なのだが、駱駝じゃあるまいし新しいコブで
は全く意味を成さないと私は思う。
このボサに関してコンゴ起源の言葉では無いかと気がついたのはデファオというコンゴ人歌手による
"Kamavuama"という曲を聴いた時だ。この曲は90年代後半に発表されたデファオの名曲なのだが歌詞のなかで"nabossa na yo
te"と言っている。この曲の歌詞はリンガラ語というコンゴで最も広く使用されている言語で歌われているのだが、nabossaというのは英語のneed
にあたる動詞であり、nabossa na yo
te全体としては「オレはもうオマエなんか要らないんだ」という、男の女に対する恋愛終結宣言らしい。そしてnabossaの頭のnaを取るとbossa
になる。そこで私は手持ちのスタンフォード大学出版局から出たポルトガル語−英語辞典を参照してみた。するとbossaの2番目の意味として「必要な物」
という定義があげられていた。
では何故nabossaのnaがとれたのかというと、これはポルトガル語の文法と関係していると考える。英語のinに当たるポルトガル語前置詞はenなのだが、後ろに続く名詞が男性名詞の場合はno、女性名詞の場合はnaという風に変化する。
en o Rio (in Rio) → no Rio=リオ・デ・ジャyネイロ市で en a Amadora( in Amadora) → na Amadora=アマドーラ市で
と
いう具合である。つまりnaというのはポルトガル語で非常にありきたりな前置詞であり、nabossaの頭のnaが取れる必然性があるのだ。その場合
bossa novaは新しい必需品という意味になり、音楽用語として意味をなす。少なくともコブや癖よりは明確な意味を成すと私は考える。つまり私の仮
説では、bossaというのはコンゴ系ブラジル人が使用したコンゴ起源スラングであり、bossaという音楽の基礎を作ったのもコンゴ系ブラジル人である
ネウトン・メンドンサではないかと私は考えるのだ。
正直、これまでに説明した仮説が正しいかどうかを証明するのはほとんど不可能なのだ
が、コンゴやアンゴラと言ったバントゥー族が南北アメリカ大陸の音楽に与えた影響はあまりに過小評価されていると考えて
www.afrobossa.comを日本語と英語のバイリンガル・サイトとして立ち上げたのが2002年頃だった。
繰り返すが私は自分
の考えが正しいとは言ってない、こういう解釈も可能だと具体的な幾つかの事実をあげた上で主張しているだけだ。そしてコンゴ人音楽学者カザディがブラジル
滞在中に書いた「ブラジル・ポピュラー音楽におけるバントゥー族の貢献」という本で学術的な検証がなされている。曖昧ではあるがジョン・ストーム・ロバー
ツの古典的名著"Black Music of Two
Worlds"においても、そうした視点は提示されている。個人的にはどちらも音楽書として傑出していると思うのだが、この2つの名著は日本語に翻訳され
ることはなかった。何故、翻訳されなかったかは不明だが、この2冊が示唆する「音楽の歴史」があまりに危険で、現在の音楽界の秩序を揺らがせるものだった
ことが理由ではないかと個人的に思う。
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