東大卒の「困ったチャン」

私が働いていた朝日新聞名古屋本社に一人、東大卒の同僚がいた。この人は私と同じで東京本社から名古屋に飛ばされたのだが、どうも対人障害があるらしく、名古屋でも広告主とのトラブルがおきた。その関係か、広告の中でも営業ではなく内勤に近い閑職に回されていた。

こ の人がある日「来月、結婚します」と言った。私のような奇人・変人にすらTV局の専務の娘と見合いしろとか話がくるくらいだから別に驚くことではないのだ が恋愛結婚だという。職場の同僚、特に幹部連中は非常に喜んだ。結婚を機会に普通のリーマンとして立ち直ってくれることを期待した訳だ。実際に結婚式に局 長や部長といった幹部が出て祝辞を述べた。私は出なかったのだが、聞いた話によると「彼はサラブレッドだがちょっと体調を崩していた。奥さんの愛情で本来 の彼に戻してほしい」とか言ったらしい。当時の部長は東大卒だったし、朝日新聞での最大派閥も東大閥だったから、そうした発言が自然に出る風土はあった。

と ころが数ヶ月で彼は離婚した。理由はDV(家庭内暴力)だった。この人は会社ではおとなしいのだが、奥さん相手に随分、ひどい事をしたらしい。それがあま りにひどかった為に、元奥さんは生まれ育った名古屋を離れて東京に引っ越してしまった。彼女の家族も相当に怒ったらしく、幹部連中が家まで謝りにいったと いう。

この頃から、この人は勤務時間中から酒を飲み、赤ら顔で仕事をするようになった。ちなみに離婚というのは人事でのマイナス・ポイン トになるらしく、彼は広告のフロアのさらに奥の部署に配属された。ある日、偶然にこの人の近くに行ったら、何かの問題集を机の上に広げていた。「オレは今 でもこれが解けるんだ」と彼が指さしたのは東大入試過去問題集だった。それはそれでスゴイことなのかも知れないが、卒業して今は広告の仕事をしているんだ から自慢しても仕方ないだろうと私は思った。私が黙って去ろうとすると「私は辞めませんよ、定年まで会社にしがみつきます」と幾分か呂律の回らない口調で 言った。どうも会社幹部からやんわりと退職勧告をうけたらしい。この人は人間的面白みが無いので広告の同僚ではあるが、私はほとんど関わらないようにして 過ごしていた。

既に書いたように、昭和天皇ご崩御の際の紙面作りにおいて会社の方針に正面から反対した私は、半年後に辞めるところまで追 い込まれた。辞めることは私の中では既定路線ではあったが、昭和天皇ご崩御の際に新聞紙面から完璧に広告を外し、全てを昭和天皇関連記事で埋め尽くすとい う朝日新聞社の方針はジャーナリズムの放棄であると批判したことで退職に追い込まれたことは非常に不本意であり不満だった。だが、ずっと辞めたいと思って いたのも事実であり、社長宛に内容証明郵便を送り、朝日新聞の体質を厳しく批判することと引き替えに辞表を出した。

この時、名古屋本社の 幹部は私が彼らの頭越しに辞表を社長に送りつけたことを怒り私を罵倒した。それは別にかまわないのだが、彼らが「竹本は精神病を患っており治療のために田 舎に戻り、退職することになった」と社内で辞職理由を発表したことには今でも激しい怒りを覚えている。何故なら、そうした捏造を恐れたから内容証明郵便で 辞表を送りそのコピー10数部を会社同僚に撒いたのだ。実際、退職後すぐに私は東京の翻訳会社の見習いとして働いていた。

それで東大卒の 困ったチャンに戻るのだが、彼は公言していた通り、会社の圧力にめげず辞表を出さなかった。困った会社は、東京本社に特別な奥の院を用意して、彼はその後 それなりに幸せなリーマン生活を送ったという。その話を後日、聞いた時に「なるほど、東大卒というのは私とは次元の違う賢さを備えているな」と感心したの だった。