硬直した教育への恨み節

私 は小中高大を通してずっと家から一番近く、一番学費が安い公立/国立に行った。これは私の親が家意識に凝り固まっていたからだ。長男である兄には私立中学 をはじめ教育機会をおしまなかったが次男である私はどうでも良いということで「安い、早い、近い」という吉野屋的理由で進学先が決められた。

私 が中学2年頃、兄が精神病を発症したのだが、今度は兄の病気を治すためにお金が必要になり、ますます吉野屋的「安い、早い、近い」教育が押しつけられた。 私自身、学校教育はどうでも良く、自分の教養は自分で身につけるという方向に向かっていった。幸いなことにいくら本を買っても親が文句を言わなかったの で、私は完全に独学の人になってしまった。

問題は高校2年の時におきた。今はどうか知らないが私の頃は高校2年3学期の期末試験の時点で 文系にいくか理系かを決めていた。さらに困ったことに私は英国数の3科目だけは得意だが、文系に必要な歴史や地理には興味なく、理系に必要な物理や化学は サパーリだった。そういう理由で文系にいくか理系にいくか不明な状態で期末試験を受けることになった。実はこの頃は数学が一番、好きだった。それは基本定 理を覚えれば問題が解けるからで、一番効率が良い科目だったからだ。暗記で頭を疲れさせるのが嫌だったのだ。

この期末試験の数学の試験用 紙には4問あった。1問25点である。その最後の問題でひっかかった。相手がその問題を方程式を使って解くことを期待していることはすぐに理解できたがベ クトルを使えばより簡単に解けるような気がしたからだ。だがすでに説明した諸事情により、その25点の問題で冒険をするのはかなり危ない気がした。しばら く考えた後、私は取りあえずベクトルで解いてみることにした。そうすると4行くらいで証明できた。これで良いのかと考えているうちに時間がきて答案は回収 された。

数学の先生が答案用紙を返す時に意外な事件がおきた。先生は私の答案をみんなに見せ「竹本の答案を見てみろ。君たちが10行か かって解くところをわずか4行で解いている。数学は解けばいいというものではない。簡潔で美しい答案を君たちも書くように」と言ったからだ。つまり、この 数学の先生は方程式を使わずあえてベクトルで解くという私の冒険を評価してくれたわけだ。

この二日後に私は職員室にいった。長年の疑問が あったからだ。それは何かというとユークリッド幾何学の定義だった。ユークリッド幾何学では2つの点を通る直線は1つしかないと決められていた。だが、も し点に面積も質量も何もないなら我々の現実世界では点が存在することを認識できないはずであり、もし点を認識できるならそれは点が面積なり質量か何かを 持っているということであり、その場合2つの点を通る直線は無限にあるはずだという疑問をぶつけるためだった。だが私の疑問は幼稚だったらしく「点を認識 できるかどうかは認識論の問題であり、ユークリッド幾何学の有効性とは何ら関係ない」というそっけない返答が返ってきた。数学の先生は幾分か憐憫をこめて 「竹本、オマエは数学が好きらしいが高校2年でリーマン数学を知らないようなら数学の仕事とか考えないほうがいいぞ」と言った。これは実際その通りであ り、私は数学者になる気も数学の教師になる気も無かった。ただ、そうした理論と関係なく私達の住んでいる実世界にはユークリッド幾何学と矛盾する部分があ るという非常に現実的な指摘をしたかっただけなのだが。

いずれにせよ数学は満点で学年トップだろうと私は考えていたのだが、発表されると細かいミスがあったらしく、2点ほど減点されていた。私は「この程度の問題でも満点が取れないのか」と自分の能力に大きく失望した。

こ の数学の先生は基本的に良い教師だったと思うが、せっかくこちらがリスクを取ってあえてベクトルで証明したことを「美しい」と評価してくれたのだから、特 別加算で10点くらい追加してくれていれば学年トップになれた。この時、数学教師が100点満点の答案に110点をつけてくれていれば、私も、もう少し社 会の役に立つ人材になれたのかもしれないのになと私は今でも恨みがましく思うのだった。