神と呼ばれた男

私 がいた頃の朝日新聞社は左翼の牙城だった。朝日ジャーナルはまだ廃刊されておらず、編集もそれなりに熱い時代だった。意見の合わない上司(部長やデスク) とパンチの応酬とか、忘年会の時に気に入らない上司をみんなで胴上げして、そのまま駅前の噴水に投げ込んだという豪快な話も聞いたことがある。

そ うした事が関係しているのか、私が黒人音楽ファンであると明かすと「同志、黒人解放運動がどうたら、マルコムXがかんたら」と話かけてくる「その筋の方」 がいた。ところが私は思想からではなく純粋にアフリカ音楽/アフリカ系音楽が好きで、その背景を詳しく知りたいというところから奴隷解放の歴史を勉強し た。その為に話がまるでかみ合わないのだ。

世界初の黒人による独立国家ハイチ、そのハイチ革命にかかわったトゥーサン・ルヴェルチュール の業績とか、その先駆けというべき反乱運動指導者だったブラジルのズンビこそが奴隷解放の主役だと私は思うのだが、彼ら左翼の頭の中では、黒人解放運動= 公民権運動=マーチン・ルーサー・キング=マルコムXという「序列」があるらしい。別にマーチン・ルーサー・キングやマルコムXをけなすつもりはないが、 客観的に見れば奴隷解放運動の主役はズンビやトゥーサン・ルヴェルチュールだと私は思う。

ここ10数年はクラブ音楽に取り込まれてしまっ た元ハード・バップ系ジャズ・トランペット奏者ドナルド・バードのフル・ネームがDonaldson Toussaint L'Ouverture Byrd IIであるようにアメリカ黒人も十分にハイチ革命を意識していた。またメキシコ系アメリカ人、カルロス・サンタナの初期の曲にも「トゥーサン・ルヴェル チュール」というのがある。いずれにせよジャズが始まったのはニュー・オーリンズのコンゴ広場だ。ジャズはそれほど興味ないし専門家につっこまれるのも嫌 なのでここで止める。だがズンビに関してはきちんと自説を述べたいと思う。

まずズンビとは何者か?

引用

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%B3

ブ ラジルの逃亡奴隷の集落はキロンボ(quilombo)と呼ばれる。1570年以降、ブラジル北東部のバイーア、ペルナンブーコ、アラゴアスに拡大し、 18世紀には南東部のサンパウロ州からミナス・ジェライス州まで広まった。密林地帯や山間の僻地に、矢来と塀で固めた50軒から数千軒の集落を形成した。 農耕や狩猟、漁労に従事するほかに、白人の居住地やプランテーションを襲い、あるいは交易を行った。最もよく知られたキロンボのひとつは、17世紀はじめ にブラジル北東部の逃亡奴隷によって作られた逃亡奴隷による共和国、パルマーレスのキロンボ(Palmares)である。2万人以上の自由な男と女と子供 が、不死身であると信じられていたズンビ(Zumbi)によって統治されていた。パルマーレスは100年近く独立国家として栄えたが、ポルトガル政府はキ ロンボを植民地体制への脅威とみなし、ドミンゴス・ジョルジ・ヴェーリョによって率いられたポルトガル軍の攻撃によって1695年にパルマーレスは消滅し た。ズンビは殺害され、レシーフェの街の広場に遺体は晒し者にされた。ズンビが殺害された11月20日は、現在もブラジルで「黒人意識の日」となっている

引用終わり

日本語wikiは例によってディープな話題に関してはダメダメなので以降、英語版を中心に解説する。

http://en.wikipedia.org/wiki/Zumbi

この1655年生まれの黒人奴隷、転じて反乱主導者こそ黒人解放運動の先駆者である。以下は私の個人的な推測に過ぎないことをお断りしておく。

ま ずズンビというのは名前ではない。愛称である。ところでコンゴの言葉リンガラ語で神の事をンザンベ(nzambe)という。アンゴラの公用語の1つキンブ ンド語では神をンズンビ(nzumbi)という。コンゴとアンゴラは違うと指摘される方がおられるかも知れないが、コンゴ王国はコンゴ南部からアンゴラ北 部にかけて存在したから別に問題はない。

私の説ではコンゴ系アフリカ人奴隷が奴隷反乱の主導者として頭角を現した。彼はコンゴ/アンゴラ の言葉に従い「神」と呼ばれた。ンズンビとズンビは少し違うのだが、頭のン(n)をポルトガル人が聞き取れなかったと私は考える。ズンビは神であるから不 死であると考えられた。だからズンビを捕獲したポルトガル人はズンビの首を当時の総督府であるレシーフェにまで運び晒し首にした。それはズンビの神格性を 否定するためだった。

つまり黒人解放運動を論じたいなら、コンゴ/アンゴラに行き現地の事情を理解した上で、ズンビの果たした役割を評価 するところから始めるべきと私は考える。左翼の連中の多くは公民権運動=黒人解放としか考えない。私は公民権運動フンダララという人権家を見ると「そんな にアフリカ人の苦境を食い物にして金儲けをしたいのか」という怒りを覚える。その怒りが正当であるかどうかは不明だ。私の主張もまた1つの仮説であり、正 しいという保証はどこにもない。

コンゴ王国の下にアンゴラ王国があった。ここはポルトガル人と延々、戦いを繰り広げた。そこでの指導者は ンジンガ女王(rainha nzinga)だった。そしてンジンガ女王の指揮する戦闘は3ヶ月遅れくらいでブラジルに伝わり、黒人奴隷達はそのニュースに一喜一憂した。これは資料が 裏付ける歴史的事実であるとだけ指摘しておく。

非常に残念な話だが、ブラジルが奴隷を廃止したのは世界で最後だ。また奴隷制廃止を決めた 際に、全ての奴隷貿易に関する書類を焼却することを関係者に強制した。証拠隠滅である。またブラジルでは現在もガリンペイロ(砂金採掘者)とかマフィアの 経営する農場の労働者として人間が金銭に換算されて取引されている。私はブラジルに対し何ら幻想を持っていない。ただ黒人解放の歴史は別の話だと言ってい るのだ。