|
昔も十分、格差社会でしたよ
英
語の仕事をしていた頃は同時通訳の人と話をする機会がかなりあった。全員女性なのだが、彼女たちは実に裕福な家庭環境で育っていた。一人の方は某地方国立
大学の学長の娘であり、もう一人の方は西宮かどっかの裕福な家庭の出身だった。彼女たちの英語での喋りはさすがでありアメリカ人との滑らかな会話は私など
足下にも及ばないものだった。一方であまり語彙は無いらしく会話の中でわからない単語が出てくるとよく私に聞いた。例えば
"arteriosclerosis"で、彼女たちはこの単語の意味がわからなかった。私が動脈硬化ですよ、というと、よくそんな単語を知ってるなと感心
したのだった。
逆に私も不思議だった。何故なら同時通訳の人は医学関係の会議なども請け負っていたからだ。この点を聞くと「それは仕事を
回してくれるところが会議で出てくる専門用語集を数日前に配布してくれるから、それを丸暗記するだけで、会議が終わると全て忘れる」と彼女たちは言った。
同時通訳者として、それは当然のことらしい、何故なら彼女たちは明るく笑いながら答えたからだ。なるほど、通訳と翻訳の分業体制ができるはずだ。
こ
の後者の西宮出身の方は琴の師範であり、日米親善交流でアメリカでコンサートを開いたこともあると言う。この人はアメリカン・フィールド・サービスという
留学制度を使いアメリカに高校生の時、留学していた。その関係で日米政府とコネがあったのだ。元祖スイング・ガールズである。
当然ながら
私とは音楽関係の話を良くした。それまで私は琴は特殊な調律をするのだろうと思っていたが、この人はピアノと全く同じだと言った。それはいくら何でもない
でしょうと私が聞くと彼女は「私はピアノも弾きますが、ピアノと全く同じです」と断言した。「ええっ、そうすると琴のあの独特の情緒はフリジアン・スケー
ルを多用するせいですか?」と聞くと彼女はそのような難しい音楽理論は知らないと答えた。しかし琴が平均律で調律されているというのは信じ難かったので
「でもピアノの調律は平均律ではなくストレッチ・チューニング(ギターの場合はバジー・フェイトン・チューニングとも呼ばれる)ですよ?」と聞くと彼女は
ストレッチ・チューニングが何かを知らなかったらしく会話が途切れてしまった。
(ストレッチ・チューニングとは何かというと高い音域はよ
り高く、低い音域はより低く調律する方式だ。人間の耳には、こちらのほうが平均律より和音が綺麗に聞こえると一般に言われる。だが、これには反論があり、
ジャズで使用されるコードのようにテンション・ノートを多く含んだコードの場合は平均律の方が綺麗に「濁る」と言う人もいる)
この人は
「自分が小さい頃は学校から帰ると琴とピアノのレッスンがあって嫌で嫌でたまらなかった」とある日、ぼやいた。「竹本さんは小さい頃は何をしてたんです
か?」と聞くので、私はウチが五右衛門風呂であり、それをたくのが小学生の私の仕事で、土日に山からリアカーで運んできた枯れ木や落ち葉を風呂口に入れて
マッチで火をつけて、それだけでは風呂が沸かないので薪とか練炭とかガムテープとか朝日新聞をさらにつっこんだ」という話をした。これは本当にその通りの
ことをしていたからだ。そうすると彼女は不審がり「楽器はいつから始めたんですか?」と聞くので実質的に28歳以降、コンゴ旅行から帰った後だと言うと彼
女は驚き「随分、古風な暮らしをしてらしたんですね」と言った。
何というか、こういう時に私は日本語表現の奥深さに感心するのだった。平
易な日本語に直すと「どこのジャングルの捨て子だったんですか」と彼女は言ってるのだ。確かに我ながら支離滅裂な人生を送ってきたと思うが、私の部落(こ
れは街道とは関係ない。集落の事を部落と呼んでいたのだ。ただ街道的な意味の部落もあった。それも部落と呼ばれた)では極々、普通の生活だった。それが父
親の仕事の関係で各地を転々とし、気まぐれにキンシャサやリオに行ったりしたために普通の日本人からすると話の辻褄が全くあわないように聞こえるだけだ。
ま
あ、しかし彼女は私より5−6年年上なのだが、彼女は小さい時から琴とピアノを習い、アメリカン・フィールド・サービスを利用してアメリカの高校に無料で
留学していた。一方で年下の私は彼女がアメリカの高校でナイスでグルービーでneatでswellな暮らしをしていた頃、日本でリアカーをひき山から枯れ
木を運び風呂をたいていた。
そこで、私は思うのだが昔の日本の方が今よりはるかに格差社会だったと。ここで私が言ってるのは地域格差なの
だが、自分の体験から判断する限り、マスゴミや左翼の連中が言ってる小泉政権以降、日本は格差社会になったというのは全くの嘘のように思える。何故なら、
日本は昔から「格差社会」であり、今も「格差社会」だからだ。そして私の体験から判断すると昔のほうがはるかに格差社会だった。結局のところマスゴミで働
く連中のほとんどは上に挙げた同時通訳女性に近い家庭で育っており、彼らの見解は日本社会の上部層の見解でしかないのだ。そういう上流階級で育った記者が
「我々、庶民の暮らしがナントカ、カントカ」と言ってるのだから偽善もここに極まるのだが、それをありがたがって読む馬鹿がいる訳で・・・(以下、無限
ループなので省略) | |