加藤和彦から始まる五度循環

加藤和彦氏が突然、自殺された。

引用

2009 年10月17日、長野県軽井沢町のホテルで遺体となって発見された。死因は自殺と見られている。享年満62歳没 最近になって鬱病を患い、死の直前にはそれが悪化していたという。公の場では2009年10月2日、東京国際フォーラムでの松任谷由実のライブにゲストと して登場したのが最後であった

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さすがに、加藤氏くらい古いと私も聞いたことがある。いや、そう言えばサディス ティック・ミカ・バンドでのライブも見た事がある。あれは確か1970年代中頃だった。オムニバス形式のコンサートで、ユーミンも一緒に出ていた。ところ が、このコンサートはロック系のグループが多くユーミンに対し「ヘタクソ、音痴、帰れ」という野次が飛び交った。今では想像できない話だが(笑)。しかし ユーミンもふてくされながら「みんなはロックを聴きに来たのかな」とか結構、皮肉を返していた。

そこでYouTubeに行き何曲か聴い た。1stアルバムの曲「きっと言える」の見たことのない映像があった。ふーむ、懐かしいねえ。朝日新聞を辞めて東京の翻訳会社の見習いをやってた頃、横 浜の板東橋に住んでおり山手のドルフィンや湘南海岸、逗子あたりをうろつき廻った昔の事を想い出す。

何故、「きっと言える」をわざわざ探 して聞いたかというと、この曲は五度循環というクラシックでよく使われる転調形式を使用しており、五度循環を知らなかった高校生の私には新鮮に聞こえたか らだ。当時の音楽雑誌のインタビューではジャマイカのレゲエを意識して作ったとアルバムに参加した誰か(細野さんか?)が喋っていたが、一体どこがレゲエ なのだろうか?ただ当時はレゲエがまだ日本ではきちんと認知されておらず、サディスティック・ミカ・バンドのギタリストだった高中正義のソロ初期曲に「東 京レギー」というのがあるが、これも高中が当時、理解していた「レゲエ」らしい。この頃はプロ音楽家も手探りで音楽をやってたのだ。

そう 言えばユーミンがデビューしたての頃ラジオで話していたが、長谷川きよしさんがラジオでユーミンの曲を聴き、わざわざレコード会社に問い合わせをしたとい うエピソードをちょっと自慢げに紹介していた。長谷川きよしさんは「別れのサンバ」という最初の曲は良かったが後が続かず、加藤登紀子とのコラボ以外は目 立った活動は無かった。いや、実際にはそうではなく東京のライブハウスでサンデー・サンバ・セッションというサンバの普及啓蒙活動をやられていて、そっちの音楽 は良かったのだが残念ながらアルバムにならなかった。NHKの音源は残っているはずなのだが。

長谷川きよしさんは過去の人として忘れてい たのだが、最近の椎名林檎のライブ・アルバムにフルート担当の娘さんと一緒に出ていた。この人は昔と変わらないなあと思ったのだが、実はサンバ・ファンの 間では長谷川きよしさんは音楽はすごいが80年代に奥さんと離婚した後、鬱病になりコンサートができなくなったという噂が流れた事を想い出した。これはあ くまで噂であり本当かどうかは知らないが・・・・・・

で、コンゴ・アンゴラ音楽ファンである私が何故、椎名林檎を聴くのかというと、90 年代後期にかけて長銀が潰れ山一證券が潰れ私の翻訳での最大の取引先だったサイマル・インターナショナルが潰れ、コンゴの内戦が悪化し数十万人単位で死者 を出していた頃、彼女のシングル「本能」を聴き、Jポップでは珍しい暗いコードを多用するこの曲にはまった時期があったからだ。ちなみに、この頃は精神科 で鬱病の治療を私自身受けており、トリプタノールとかの三環系のきつい薬を出されて心身ともにダウンしていた。日本人の3人に1人は生涯のなかで鬱病にな るというから別に珍しい話ではないが。

そこで冒頭の加藤和彦氏の自殺に戻るのだが、昔のフォーク・クルセーダースでのバンド仲間である北 山修氏は精神科医として、エッセー作家として、講演者として多様な活動を今も続けておられるのだが何故、北山氏に相談しなかったのか?北山修氏は鬱病患者 の間ではなかなかの「名医」として知られているのだが不思議な話だ。

という訳で、実はこのエッセーも「五度循環」形式で書かれていること に気が疲れた、いや気がつかれただろうか?私もあまりやらないのだが、コード進行に沿って文章を書くことを専門にした作家がそろそろ現れてもいいし、それ は新鮮な試みなのだが。しかし、そうした試みが今、評価されない事がわかっているから誰もやらない訳で・・・・・

(現在、存続活動しているサイマル・インターナショナルは1997年に和議申請し実質倒産したサイマルの社員達が商標を買い取って始めた全くの別会社。私はこちらのサイマルとは仕事をしたことはない)