誰も見抜けない日本の政府債務の本質
2009.12.05
(実験的にこのエッセーの著作権を放棄します。パブリック・ドメインにおくということです。ただし引用元URLは必ず入れてください。なお問題がおきた場合、次回以降は通常通り著作権を保持するかも知れません。以下、本文)。

以下の記事が2chや様々なブログで話題になっているようだ。

引用

『【日本の未来を考える】東京大・大学院教授 伊藤元重 “オオカミ”は必ず来る
http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/091205/fnc0912050300002-n1.htm
  政府債務の対GDP比のランキングで、日本はジンバブエについで世界第2位であるそうだ。日本は160%を超える水準であるが、100%を超えるような国 はこれ以外にはレバノン、ジャマイカ、イタリア、スーダンしかない。日本の政府債務はそれだけ異様な大きさであるのだ。多くの経済学者が日本政府の抱える 巨額の債務のリスクについて論じてきた。あまりに債務が膨れあがれば、国債を市場で消化することが難しくなる。国債の価格は大きく下がるだろう。それはつ まり、国債利回りが高くなることであり、もし国債利回りが上がれば諸々(もろもろ)の金利も上昇して経済は大変なことになる。私自身もこのような議論をし てきた。こうした財政破綻(はたん)論が出てきてから10年以上がたっている。その間に政府債務はさらに膨れあがっている。それにもかかわらず国債利回り は史上最低というような水準を維持している。経済学者の財政危機説は「オオカミ少年」と同じであると感じている人も多いかもしれない。しかし、オオカミは 必ず来る(以下、略)

引用終わり

色んな人が日本オワタ論(=国家破産論)や正逆の伊藤元重白痴論までを展開しているのだ が、全ての議論が重要な視点を見逃しているために生産的な意見が全く出されてないのには驚いた。これは勿論、私の意見であり竹本秀之はワインを1リットル 飲んだ後でしかエッセーを書かないアル中であると考えるのもまた自由である。しかし、5年前は1日ワイン4リットル飲んでも次の日、普通におきて朝ご飯を 食べてたのに最近は1.5リットルも飲むと眠くなってくる。歳は取りたくないものだ(笑)。

さて、みんなが見のがしている重要な点とは何 か?それは伊藤元重氏(元東大経済学部長)は誰の意見を大便、いや代弁しているのかという視点である。当然ながら伊藤氏が代弁しているのは実質的に東大法学部 霞ヶ関分校である財務省の意見である。では財務省はどうして国民の不安を煽るような情報を本校経由で流すのか?権力維持のためである。過去に置いても現在 においても省庁の中で別格の権勢を誇るのが財務省(旧大蔵省)である。財務官僚はその権力、権勢を失いたくないのだ。ところが日本の財政が本当は健全であ り何ら問題が無いことがばれると彼らは一挙に権力を失う。そして彼らの権力を維持する、ただそれだけの為に日本の巨額財政赤字は放置されていると私は考え る。

現在、日本はデフレにある。日銀法を改正して100兆円ほど国債買い取りをやれば適度なインフレになるのだが、それをやると財政が健 全化してしまい財務官僚の権力が目減りする。これは財務官僚にとって非常に不愉快なことなので彼らは政治家に働きかけ、こうした財政健全化をやらせない。 これは中国共産党の幹部特権のようなものだ。胡錦涛あたりは意外と幹部特権を減らしたいと思っているかも知れないが、共産党幹部の誰も特権を失いたくない ために何もできない。日本の財政赤字も同じで、日銀が引き取ればお終いのレベルの問題であることは財務官僚もわかっているのだが、財務官僚は日本の全ての 省庁のトップに君臨するという特権と地位を失いたくないのだ。だから、日本の政府債務を減少させることは許されないのだ。

そんな馬鹿なと言われるかも知れない。だが意外と世の中はそういう論理で動いているのだ。以下、バブル崩壊移行の財務省の変遷を私なりに解説してみよう。なお根拠は一切、無い。

1.財務省を仕切っているのは東大法学部であり経済学部ではない
2.1990年頃は東大法学部も経済学部も主流はマルクス経済学だった
3.ところが1997年あたりからマルクス経済学の基礎に財政出動というケインズ経済学の手法を接ぎ木したのでは現状に対処できないという認識が財務官僚(旧大蔵官僚)のあいだに生まれた
4.この霞ヶ関分校での認識は本校にもフィードバックされ東大法学部は脱マルクス、入近代(現代)経済学へと軸足を移した
5.東大内部の力関係により経済学部も脱マルクスに向かった
6.だが財務省の上層部は付け焼き刃の近経での運営を誤り、また日本のソブリン格付け引き下げもあり、GDP比で巨大な国債発行額が国民の不安を大きくかきたてた
7.そこに出てきたのが小泉という希代の詐欺師、いやその名役者である。獅子のような髪を振り回し、歌舞伎舞台(国会)の真ん中で六方を踏み大見栄を切った。その演技があまりに素晴らしかったので国民は財政危機をとりあえず問題にしないことにした
8.小泉はカリスマに加え新自由主義で理論武装していた
9.ただの理論武装だったはずの新自由主義が原理主義化し暴走した
10.それを悟った小泉は潔く舞台から降りた

何 というか金利とか流動性とか経済学用語が一切、出てこないスゴイ説明だ。私も長短金利のワイド化、フラット化くらいは一応、知っているのだが。しかしである、 人間が経済的合理性に基づいて行動するという現在主流の経済学の金科玉条は一度も証明されたことがないのだ。そして今、最先端の経済学は市場は常に間違っ ており(ポール・クルーグマンは為替レートは常に間違っていると主張)、人間は必ずしも経済的合理性に基づいて行動しないという方向に向かっている。

と 言うわけで、伊藤元重氏ほか多数の論客の意見は「視点」の問題と私は考える。とりあえず財務省の主計官あたりに日本各地を周り、国民と財政問題に関する議 論をする義務を課したら良いと思う。主計官相手に勝てる論客は日本にいくらでもいると私は思う。そうした討論はもちろんネットでオンデマンドで配信する。 同時に、財務省もそろそろ入学した時からマルクスでない普通の経済学を勉強した中堅が台頭する時期だ。

という訳で、この問題は時が解決するというのが私の意見である。