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私がロックと団塊の世代を嫌う理由 (このエッセーの著作権は放棄され、パブリック・ドメインに置かれています)
数
年前に2chジャズ板のギャラ・スレを読んでいて笑ったことがある。ある中堅ジャズ演奏家を中心にしたカルテット(4人組)のライブにお客が3人しか集ま
らなかった。こうしたライブでのギャラは集まったお客のライブ・チャージを分配するのだが、さすがに3人ではギャラを出しようが無く、バンド・リーダーが
自分の身銭を切って他のメンバーにギャラを払ったという。似たような貧乏くさい話が続いた後、誰かが「しかし、アイツならライブに一晩呼んで*十万取れる
だろう?」と書き込んだ。割と美人のアルト・サックス奏者の全盛期だった。その次に書き込まれたレスが良かった。「音楽抜きならね」・・・・・
ジャ
ズの連中は自分たちのやってることが世間でどう評価されているかちゃんと知っている。だから好きだ。私はコンゴ音楽ファン・演奏家なので、それほどジャズ
を聴いてる訳では無いが少なくとも聴いてて不快に思うことはほとんどない。逆にロックを聴いていて不快感あるいは嫌悪を覚えることはよくある。これは一部
のロック演奏家の独善性とロック・ビジネスのありかたと関係していると考える。
昔、ロックが始まったばかりの頃、合い言葉のように言われ
たのが「30歳以上の大人を信用するな」である。だが時というのは無慈悲であり、そうした合い言葉を唱えていた演奏家も30代になった。そうすると「ロッ
ク創世記の熱い息吹を今に伝える演奏家」として、むしろ格上げされてしまった。彼らがさらに歳を取り40代になると「今なお衰えぬロック魂」という表現が
使われた。50代になると「不滅のロック魂、これが原点だ」と表現されるようになった。
つまり20,30、40、50歳代、どの年代に
あっても「彼ら」が常に正しく、彼らより年上あるいは年下は常に間違っていると主張された。これは、もはやカルトである。自分たちが10代、20代の時に
「30歳以上の大人を信用するな」と主張したのだから、自分たちが30代になったら音楽を止めて別の職につけば良いようなものだが、ロック・ビジネスがあ
まりに甘く美味しいために止められないのだ。
1980年頃の英国のロック・バンドにスレイドというのがあった。彼らの"Come
and Feel the
Noise"という曲を聴いていて私は笑ってしまった。もう大昔のことなので歌詞とか正確に覚えてないのだが「こんな格好してオレ達のこと、馬鹿だと思う
だろう?だが、この商売は儲かるんだぜ。さあ、こっちにきてノイズを感じてみろよ」、こんな感じの歌詞だった。スレイドが歌っていた通り、「ロック商売は
儲かる」、ここに全てが収斂すると思う。
そこで想い出すのが私が新聞社広告営業をやっていた頃に団塊の世代と交わした会話だ。彼らに言わ
せると「思想とかもう全然関係ない。バリケードを組んで角棒を振り回してれば、同志の女の子といくらでもやれた」そうである。迷惑なのは彼らの性欲処理の
ために封鎖された大学を始めとした研究機関である。しかも彼らは性欲処理の目的で学園封鎖をしたことを全く恥じる様子もなく、どれだけの女の子と遊んだか
の自慢をするのだ。
彼らが中間管理職の頃はまだ年配層からの抑止力が働いた。だが今、団塊の世代が最も影響力を持っている。さらに彼らの考え方は「綺麗事を言って、バリケードを組めば、女の子がいくらでも寄ってくる」、このレベルから微塵も変化してないのだ。
私
が朝日新聞社広告営業というかなり特殊な仕事をしていたからかも知れないが、団塊の世代とは「女の子と簡単に性交できるなら大学の機能が停止してもかまわ
ない」と考える世代だ。これは、まさに30代以上の大人は信用するなと言いながら自分たちが歳を取ると、食言する人たちと同じ考え方だ。つまり、彼らの考
えでは「常に自分たちの世代の考えが正しく、時代がどう変わろうと、自分たちより年上も年下も間違っている」ことになる。
ロック=団塊の世代=カルト思考という構図が見えるだろうか? | |