究極の地球市民vs至高の地球市民
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2010.01.02

私は自分が地球市民であると公称している。実際、全ての国や民族の枠をこえた地球規模の社会がいつか出来ることを夢見ている。ところが所謂「地球市民」の方とは全く意見があわない。これは左翼内部の内ゲバとは違う次元で認識が違うからと考える。

卑 近な例を出す。私が住んでいる街で街単位の大きな共同体を作ろうと考えたとしよう。しかし、右隣に住んでるのが麻薬売人で左が売春婦で、前が毎月3000 万円の子供手当で生活をしている62歳で、裏の住人がどこからかひっぱてきた怪しげな資金で不動産を買い漁る政治家のような状態で共同体を作ろうとは思わ ない。何故ならメリットが1つもないからだ。共同体というのは、お互いにリスペクトしあう状態でのみ可能であり、リスペクトできない状態での共同体などあ りえないと思う。

これが私の考える地球市民の概念だ。つまり、全ての民族がお互いの良さを認めリスペクトしあう状態になるように努力し、 もしそういう状態が実現されたら地球単位での共同体というさらに素晴らしいものを生み出すよう努力しようという考えだ。これを究極の地球市民と呼ぼう。究 極の地球市民の特徴は民族の多様性とそれへのリスペクトを重視する点にある。対して、所謂「地球市民」を至高の地球市民と呼ぼう。彼らの多くは地球市民と 名乗りながら実質「アジア市民」でしかない。彼らの頭の中にはコンゴやハイチと言った国々は存在しない。もちろんコンゴやハイチの豊かな文化へのリスペク トもない。そもそも理解しようという気が無いのだからリスペクトが生まれる訳がない。

「オマエだって半島や中国、2ch用語で言う特亜を 馬鹿にしてるじゃないか?」と言われるかも知れない。まず北朝鮮に関して言えば、その社会・民族性・国家のありかた、どの部分もリスペクトできない。韓国 に関して言えば、異様に韓流好きなメディアのおかげで文化にふれる機会は多いが何ら関心が湧かない。中国に関して言えば、中国では一度も民主的な選挙が行 われていない。彼らがやってることはチベットやウイグルを見ればわかるように多様性の圧殺である。これでリスペクトしろというのが無理だ。

コ ンゴやハイチも民主主義が根付いているとは決して言えないが、その文化的豊かさは圧倒的だ。ロンドンにスターンズというアフリカ音楽専門店がある。このお 店はTrade Windというプロモ雑誌を発行していた。そこに毎月の売り上げトップ20が書いてあるのだが90年代のほとんどの時期でトップ20のうち15−18はコ ンゴ人演奏家が占めていた。実際、コンゴ以外のアフリカ諸国はコンゴ音楽に自分たち独自の音楽が潰されるという危機感を持ち「コンゴ音楽帝国主義」とまで 読び警戒した。かつて、ケニア大統領は自国のTVやラジオがコンゴ人に独占されているのに腹を立てコンゴ音楽禁止令を出した。冗談ではなく本当に法律が制 定されたのだ。この法律により全てのコンゴ人演奏家は国外追放され、TVやラジオはコンゴ音楽を流すことを禁止された。この法律は半年しか持たなかったと いう。何故ならケニア人は本当にコンゴ音楽が好きで、なし崩し的にコンゴ人演奏家とコンゴ音楽がケニアに戻ってきたからだ。

ハイチも音楽と絵画という2つの分野で豊かな国だ。甘くとろける音楽は好みが別れるところだが、絵画のほうはNYの画商が定期的に買い付けに来るほど広く知られ愛好されている。ハイチは絵画のファンのほうが音楽ファンより多いかも知れない。

私 はコンゴにもハイチにもそれなりのリスペクトを払っている。何故ならリスペクトに値する高い文化を持っているからだ。そして、それは私の独善ではなくス ターンズのチャートやNYの絵画関係のサイトなどを覗けば簡単に確認できる。いや別にコンゴやハイチに限らず、キューバの音楽もジャズもサンバもブルース もみんなリスペクトしている。自分でも真似事のような演奏をする程度にはリスペクトしている。

究極の地球市民として私は、全ての民族がお 互いの文化を知りリスペクトできるような状態をまず作るべきだと思う。ところが至高の地球市民はそう考えない。彼らはコンゴやハイチの「可哀想な人々」を 救おうという。確かに彼らの生活レベルが相当に悲惨なのは確かだが、オマイラは一方的にコンゴやハイチを見下してないか?何故、彼らの豊かな文化にふれ、 それをリスペクトしようとしない?

そうなのだ、至高の地球市民は相互リスペクトを築くことなく「地球共同体」なるものを作ろうと考える。 そこに私は途上国蔑視思想、黒人差別思想を見る。最初の例えに戻るなら、隣人が麻薬の売人であろうが売春婦であろうが鳩山であろうがおかまいなしに共同体 を作ろうとする。それはカルト思想だ。何故ならお互いのリスペクト無しに共同体を作り維持することなど不可能だからだ。

以降、「偏見」を 言わせてもらえば、地球上の全ての民族がお互いにリスペクトできるような状態になったら「地球共同体」を考えようというのが本当の地球市民だと思う。とこ ろが至高の地球市民は「キューバ社会は素晴らしい、握手したカストロ議長の手は温かかった」という抽象的な「友愛」以上に進もうとしない。何故、そこでス ペイン語を勉強しないのか?何故、コンガを買ってきて叩き方を覚えようとしないのか?本当にキューバに対しリスペクトの念を持っているなら当然、そうする と私は思う。実際、私自身スペイン語を勉強しコンガの練習もした。何故なら私はキューバをリスペクトしているからだ。

私は至高の地球市民は仮面をかぶった人種民族差別主義者だと思う。