コネで廻る広告業界

日本最大の広告会社、電通 は当然、たくさんの系列会社を持っている。名古屋においてはアド電通という案内広告会社がそうだった。その後、組織替えがあり、アド電通はもう少し普通の 広告会社に変わるのだが、私が業界にいた頃はまだ案内広告の会社だった。ちなみに新聞業界では広告代理店という表現をあまり使わない。代理店という言葉に 見下した響きがあるというので広告会社とか広告募集においてチャレンジド(challenged)な状況にある営利共同体(ゲゼルシャフト)とか呼ばれて いたという噂があったような気がする。

ここの朝日新聞担当はKさんと言った。彼は朝日をひいきにしてくれた。理由を聞いたら、Kさんは元 々、丸*真綿という会社の営業として布団を売って歩いていたが、ある日ふと目にした朝日新聞名古屋本社版の案内広告を見て応募し合格しアド電通に入ったの だと言う。「ほう、それはすごいな」、私は感心して思わず声を出した。何故なら朝日の案内広告は効かない、反応が無いという苦情ばかり聞かされてきたから だ。

このK氏がある日、新しい名刺を出した。そこにはアド電通**部副部長と書かれていた。ヒラからいきなり副部長への焼身、いや昇進で ある。ところが彼は非常に憂鬱な顔をしている。そこで事情を聴くと「ヒラだと残業手当がつく。会社は残業手当を出したくないから入社して3年すると副部長 という管理職にして減給する」のだと言う。しかし世間的には高校を卒業した後、布団を売って歩いていた男が一応、電通と名の付く広告会社の副部長になった 訳だから大変な昇格のように見える。いかに広告業界が虚業であるかの証明とも言える。当時のアド電通の社員は50人くらいだったと思うが、ヒラは数人で半 数以上が副部長で、残りが本当の管理職だったと記憶している。

電通の例を出さなくても朝日新聞関連でもかなりスゴイ例があった。朝日広告 社名古屋本社にある日から、妙に色っぽい女性が入った。この人は主に広告原稿のスケジュール調整をしていたのだが、こちらが「おいおい、5時に入れると 言ってた原稿がまだ入ってないぞ。遅れるなら遅れるで連絡しろ」と怒りの苦情を言うと「すいませーん、後30分以内に必ず入れます」と妙に人扱いになれた 口調で返事をするのだった。私はずっと、この女性は何者かと思っていた。

ある日の夜8時頃、M部長が「おい、みんな飲みに行くか」と言い だし、私も含め数人が会社の接待用のバーに連れて行かれた。大体、私はM部長とは仲が悪く、口の悪い人は「竹本の天敵」とまで呼んでいたのだが、私は朝日 新聞広告局上層部はどういうところで接待してるのか興味があったのでついていった。

1軒目のバーは普通のバーだったが2軒目に行き、私は ビックリした。上に書いた妙に色っぽい朝日広告社の女性事務社員がカウンターの向こうで手慣れた感じで水割りなどを作っていたのだ。「なるほど、この女性 はこういう縁故で採用されたのか」と私にもやっとわかったのだった。

それを言い出すなら朝日新聞名古屋本社でも縁故採用は多いにあった。 広告でも「あの人のお父さんは元大阪本社社会部長、あの人は東京本社編集局長の甥」とか普通に指摘されていた。私のように全く何のコネもない人間のほうが 珍しいくらいだった。ここらも広告の仕事を最終的に辞めた理由の1つなんだが・・・・

(ちなみに当時の朝日新聞編集には縁故採用は1%くらいしかいなかったと記憶している)