日本の障害者政策は根本から間違っているパート2

世の中には可逆的な行為と不可逆的な行為がある。それが犯罪であれば

不可逆的な犯罪への罰則>>>可逆的な犯罪への罰則

である。例えば、誰かの命を奪う。これはブラックジャックが出てきても茂木健一郎が脱税しても生き返らすことはできない。対して500万円のお金を盗まれたというのは可逆的な犯罪である。犯人に弁済能力があればの話だが。そして日本の法体系において

不可逆的な行為>>>可逆的な行為

として重要度を割り振っていると私は理解する。ここまではイントロである。

この法律の考え方がそっくり障害者政策に反映されている。ここでは以下のように置き換えてみる:

不可逆的な行為: 身体、脳神経における器質的変化
可逆的な行為: 身体、脳神経における非器質的変化

器 質的な変化とは何か?例えば手足を失うことである。あるいは脳細胞や神経細胞が部分的に死ぬか回復不可能なまでに変わることである。対して非器質的変化と は何か?これは精神病のように器質的変化が確認できず治るか治らないか医学的に決定できない障害である(あくまで一般論)。下のように分類される:

身体障害者: 器質的変化による障害下にある人
知的障害者: 〃
精神障害者: 非器質的変化による障害下にある人

そ れは障害者手帳を見れば簡単にわかる。身体障害者や知的障害者用の障害者年金手帳には更新が無い。いったん交付されれば死ぬまで有効だ。対して精神障害者 の障害者年金手帳は2年ごとに更新する。しかも2年ごとに医師の最新の診断書を添付して痴呆自治体に提出する必要がある。つまり精神障害は治ることを前提 にしている。前提にしていなければ身体および知的障害者と同じ扱いになるはずだからだ。

しかしである、私の兄が精神分裂病を発症したのは私が16歳の時だから、今から38年前だ。私はサラリーマン生活を10年し た。その間、兄の世話はしなかった。最初の数年、数万円の仕送りを親にしたが、3年目で親が「もういいから」と断った。だが両親はずっと兄の世話をした。 その世話の仲には包丁でさされ入院するなどのブッソウな事件も含まれている。そして38年経った今も、私と父母は兄の病気に振り回されている。つまり38 年間、医師のアドバイス通りのことをしているが症状は何ら改善しない。だが、そうした事実に関係なく、第1級精神障害者年金手帳は2年ごとに更新手続きを しなければいけない。38年間、同じ状態が続くなら、もはや器質的変化がおきたと考えるべきではないだろうか?障害者で国が考慮すべき点は生活にどれだけ 支障をきたすかでは無いのか?器質的変化を基準に機械的に「不自由度合い」を采配して良いものだろうか?

そして私はまた不満に思うのだが、 IPS細胞などによる身体障害の治療を国やメディアは多いに報道する。だが統合失調症(昔の精神分裂病)もドーパミンやセレトニンといった神経伝達物質と 関係しているというところまで解明されている。何故、国は数兆円規模の脳科学研究センターを設立しないのか?そうした施設を作ることにより以下のメリット が期待できる:

1.脳神経に関わる医療費の大幅な軽減
2.精神病の予防、治療による国民生活の質の向上
3.そこで開発された新しい技術からの派生効果による日本という国の競争力向上
4.天才の一部は狂人である。逆に言えば、狂人を治すことで天才を生み出すことが期待できる

車 いすで生活する人のために道路や歩道橋を造り直すことが本当に全ての障害者への配慮なのだろうか?そもそも、外出すら不可能な人はその恩恵を受けることができな い。何故、国は身体障害者+知的障害者>>>>精神障害者という政策をずっと実施しているのだろう?本当に実態を調査・把握した上 で、上記政策を行っているのか?

何故、国は統合失調症患者を治すことで、高い確率で「天才」を生み出すことができる点を無視するのだろう?一人の天才が普通の人100人分の生産性を持つと仮定すると精神障害者は「宝の山」だ。何故、そういう発想ができないのだろうか?

同 時に38年間治すことができない精神障害者は、他の障害者同様に「脳神経が器質的に変化した者」として扱われるべきだ。現在の日本の障害者行政には整合性 がない。論理が破綻している。そして、精神障害者に本当の福音をもたらす医科学的基礎研究を民主党の鳩山、カンガンス、レンコンは切 り捨て、それが無駄を省くことだと公言した。そして新聞やTVは「鳩山、マンセー。お縄フューラー、マンセー、第3帝国(=東アジア共同体)、マン セー」をくり返しているように私には思えるのだ。

要するに鳩山民主党も新聞もTVも「キチガイ」が死に絶えることを目指しているわけ だ。そうでないと、普段は全く精神障害者およびその家族の日常を取り上げないメディアが、いったん精神障害者が殺人などの犯罪を犯すと狂喜乱舞して大きく 報道することが説明できない。これを日本国籍を持たない在日の犯罪報道と比較すると、その異常性がさらに理解できるだろう。

参考

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%
BB%E3%83%8A%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5

ジョン・ナッシュ(ノーベル経済学賞受賞者)

17 歳の時、カーネギー工科大学にジョージ・ウェスティングハウス奨学生として進学。入学当初は専攻が化学であったが、教員の勧めで数学に変更。選択科目で国 際経済学を学び、経済学に対する興味を持つ。この大学で学士号を取得し、1948年には修士号を取得。取得後、プリンストン大学に移り、ゲーム理論の研究 を本格的に始める。この時、カーネギー工科大学での指導教官がプリンストン大学へと送った推薦書は「この男は天才である。」と書かれただけの一行の文章で あったという。

1957年2月、エルサルバドル出身でMITの学生であったアリシア(Alicia Lopez-Harrison de Lardé)と結婚する。1958年、29歳の若さでMITの終身職員の権利を得る。同年秋、アリシアが身篭る。またこの頃、数学界最大の難問と言われる リーマン予想の証明に専心するが、その困難さが更に彼の精神を蝕む事になった。

1958年、アリシアの妊娠と時期をほぼ同じくして、彼は 精神病を罹患する。1959年4月〜5月にかけて病院で検査を受け、その結果、彼は現在で言うところの統合失調症であると診断される。同年、MIT職員を 辞職。ヨーロッパとアメリカを放浪し、1960年、プリンストン大学に復帰する。再び数学を研究する生活に戻るが、治療はその後も続き、1970年まで入 退院を繰り返す。1970年頃から少しずつ回復の兆しを見せ始め、1978年にはカルトン.E.レンケとともにジョン・フォン・ノイマン理論賞を受賞。 1980年代後半には統合失調症から快復した。