|
何故か墜ちた権威が好きな名古屋人
ずっと小沢
一郎関連で検察批判をしている郷原信郎という人がいる。その批判が妥当かどうかは、ここでは問題にしない。ただ、この人が今、名城大学の教授をしていると
いうところが少し気になる。何故かというと私の朝日新聞広告営業の職歴の中で最も長く担当したのが大学・進学関係だったからだ。とりあえず郷原信郎さんの
略歴:
引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%B7%E5%8E%9F%E4%BF%A1%E9%83%8E
郷原 信郎(ごうはら のぶお、1955年3月2日 - )は、日本の弁護士(郷原総合法律事務所)、元検察官。名城大学教授、総務省顧問。島根県松江市生まれ。
引用終わり
皮肉を言えば、挫折なき人生がうらやましいかぎり(笑)。
私
が学校を担当していた時の最大広告主は河合塾だった。私は割と河合塾とウマが合った。恐らく、それが理由で延々と学校担当をやらされた。ちなみに駿台や代
ゼミとの相性は悪かったから別に予備校との相性が良かったという訳ではない。何もする仕事が無いときは河合塾に行って担当者や「エライサン」達と雑談をし
ていた。河合塾そのものに勢いがあったし担当者と会話が弾んだということもある。チョビひげ黒木、フクロウ丹羽・・・・・ 私自身は予備校も塾も模試も全
く経験ないのだが(=そんなお金が無かった)、それが彼らにしてみればかえって面白かったのかも知れない。模試の経験の無い大学受験生というのは今の学生
には想像できないかも知れない・・・
で、名古屋の大学事情に戻るのだが、トップは当然、名古屋大学である。だが、ここは広告を出さないの
で基本スルーだった。ただ私のアパートから歩いていけるほど近かったので休日のキャンパスには何回も行った。キャンパスの東側にこんもりとした森があり、
そこで洋書を読んだりしたのだが、夏の時期は誰もこない上にひんやりとした空気が気持ちが良いので昼寝をするのに最適だった。最初からマクラを持参してい
くくらい気持ちが良かった。もし昼寝が目的なら名古屋大学はお勧めである(笑)。
当然ながら広告を出す私立大学がメインの訪問先となった。南山が頭ひとつ抜けてたのかな?次が名城で、後は中京大学とか中部大学とか。植草先生が勤務されていた名古屋商科大学も重要広告主の1つだった。
郷
原先生が教授をつとめておられる名城大学はまともな大学である。私の知る限り、宗教とかカルトとかのつながりは無かった。ただ、急な坂の上にあるために
キャンパスにまで行くのは大変だった。名城大学も私の八事のアパートから歩いていけるところにあったのだ。植草先生が勤務されていた名古屋商科大学も名古
屋郊外の丘に広大なキャンパスを持っていた。だが、ここは体質的に合わない部分があり私は苦手だった。事務局でどうやってキャンパスを入手したのか、どこ
の保有地だったのか、どこが出資したのかを聞くと、けっこう激しい*****(以下、削除されました)。
それで郷原氏に戻るのだが、東京地検の検事までやってアカデミックな勤務先が名城大学というのは寂しいと感じる。当然、もっと上のランクの大学から法科大学院教員として引き抜かれるはずだが?この点が気になる。何か郷原氏に問題があるのだろうか?
後、
特捜部の活動に関してメディアに出て様々なコメントをされている。これは妥当なのかな?例えば、朝日新聞批判での先輩である本郷美則氏(元私の上司)は編
集と広告という新聞社の主要2部門を渡り歩いた経験の上で批判をされている。編集=コンテンツ制作者、広告=営業の柱だから、この2部門を知ってる本郷氏
の批判はいわゆる「感情的な朝日批判」とはレベルが違う。実際のところ編集は広告が何をやってるか知らない。広告は仕事上、編集(特に編集校閲)との接触
は避けられないからある程度、内情を知っている。だがディープな部分は何も知らない(とここでは書いておこう)。部署が違うと、そのベクトルの方向も違う
訳だ。それで郷原氏の特捜部批判は個人の意見の表明として全く問題ないのだが、何か編集の連中が広告の仕事に関してコメントしてるような「わかってない
な」感が漂うのだが・・・・
いや郷原氏がどのような批判をするのも自由である。私だって勤務経験が無いTVや新聞編集批判を少しはやって
る。ただ、私は常に「あくまで自分の経験から、こういう風に推測できる」としか書かない。特捜部での勤務がない郷原氏が断定的に物事を語られるのは何らか
の自信・根拠があるのか、それともそういう風に喋らないと「マスゴミ芸者」になれないからか、ここにも私の疑問がある。現在、総務省顧問であるという点に
も何かあるようなないような・・・・・
物事を断定的に語るのはもの凄く難しい。新聞社の広告営業を10年やった私ですら、新聞広告はこう
であるとはどこでも断定してない。あくまで自分が体験した範囲では、コレコレだった、コレコレの推測が可能だという風にしか書いてない。それはできるだけ
正直な文章、知的誠実さを持つ文章を書こうとしているからなんだが・・・・
| | |