裁判長、異議あり!

引用

http://www.47news.jp/CN/201002/CN2010021701000594.html

広告掲載3紙の責任認めず 平成電電事件で東京地裁

  破綻した通信ベンチャー企業「平成電電」が虚偽の宣伝で出資金をだまし取ったとされる詐欺事件に絡み、全国の投資家約430人が同社の広告を掲載した朝 日、読売、日本経済の新聞3紙にも責任があるとして、計約26億5千万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は17日、請求を棄却した。

 孝橋宏裁判長は判決理由で「掲載当時、8〜10%の配当をうたった広告の内容が真実でないとの疑いを持つような特別の事情はなく、読者に不測の損害を及ぼす恐れは予見できなかった」と述べた。

 一方で「民事上の責任とは別に、広告を約2年にわたり繰り返し掲載したことが被害の拡大につながったのは否定できず、各紙はこの点を重く受け止めるべきだ」とも指摘した。

 判決によると、新聞3紙は2003〜05年「通信事業に投資すれば年8〜10%の配当がある」などとした平成電電の新聞広告を掲載。原告は広告を見て投資したが、06年に平成電電や関連会社が破産したため配当を受けられなくなった。

2010/02/17 16:45   【共同通信】

引用終わり

こ の問題は正直言うとあまりコメントしたくない。何故なら自分の家庭の事情により家から数km以上、外出できない状態が約5年間続いており、原告から証人に なってくれと頼まれても不可能だからだ。一方で、マスゴミ評論家のほとんどは編集畑出身であり、広告サイドから新聞を語れる人は極めて少ない。正確には 「広告サイドから新聞を語るような馬鹿」は私しかいないということなのだが(笑)。

まず予想配当8-10%を払うくらいなら銀行から借りたほうが良いという議論がある。これは当時のゼロ金利を考えれば極めて妥当な疑問だ。だが、そうした議論は別に私がしなくても弁護士のかたがされるだろう。私が問題にしたいのは

1.新聞社は広告掲載基準なる冊子を作り、これを広告会社や広告主に配布している。

2.私が朝日新聞社に在籍した1980年代には、掲載基準はほぼ守られていた。それは新聞社の経営状態が良く、社会の公器としての意識があったからだ。

3.だがバブル崩壊後、広告は急速に落ち込み、広告売り上げを最大の収入源とする新聞社の経営は一挙に苦しくなった。

4.広告の落ち込みを補うために意図的に広告掲載基準が「緩和」されたと推測する。

5.そう推測する根拠は1980年代の朝日新聞であれば、平成電電も近未来通信の広告も掲載拒否しただろうと考える事件があるからだ。最後に述べる。

6.上記地裁判決に抜けているのは新聞社が社会の公器を名乗りながら、なおかつ杜撰な広告を掲載したという視点である。

7. 民事賠償を認めないという考え方はアリだと思うが、その場合は新聞社はただの営利企業であり、彼らの掲載する広告が彼ら自身が定めている広告掲載基準に違 反するものであっても、新聞広告掲載基準というのは営利企業の内規であり法律でも条令でもないという主張がなされるべきだ。

8.つまり私が上記、判決に関して不満に思うのは判決が「新聞の公共性」をほとんど考慮してない点にある。

9.だが新聞やTV局の本社のほとんどが格安に払い下げられた旧国有地の上に建っていることなどを考えると明白に国は新聞やTVを「社会の公器」として特別扱いしてきた。

10.従って原告の主張を退けるなら判決文に「新聞社はただの営利企業であり彼らに掲載した広告の責任を取る義務はない」という形での新聞社の公共性の否定文があるべきだ。

11.もし裁判長が新聞は社会の公器であると考えるなら当然ながら原告の主張は部分的に認められるべきだ。なお、原告の主張を全面的に認めることが妥当とは私は考えない。

さて、私が朝日新聞社に入社して最初の職場は東京本社広告局広告審査課だった。当時の課長は広島さんといった。フル・ネームが出てこないが朝日に問い合わせれば簡単にわかるだろう。私が広告審査課にいた頃、下のような事件があった。


あ る広告会社が代理店募集広告を持ち込んだ。ところが実績が全くないために、載せろという広告会社営業ともっと情報を出さないと掲載できないという広島審査課 長との対立がおきた。ある日、私がたまたま広島氏のそばを通ると彼は官報のようなものをチェックしていた。私が「それは何ですか」と聞くと「今、代理店募 集広告でもめてる会社の法人登記簿と過去の決算書だ」と広島氏は答えた。「ほう、そこまでやるのか」、私は少し感心した。だが、それでも、この広告の掲載 許可は出なかった。

ある日の午後、広島氏は職場からいなくなった。広告審査というのは内勤職場であり、数時間に渡り課長が不在というのは非常に珍しかっ た。広島氏は外出して何をしていたかというと、代理店募集広告を出そうとしている会社を抜き打ち訪問し、会社に実態があるかどうか確認していたのだ。ここ までくるとスパイか何かのようだが、80年代の朝日新聞の広告審査はこれほどまで厳しかった。実績の無い不動産業者からの広告申し込みであれば、現地に物件を見に行くことも多かった。

これは実話である。そして、この80年代の実話を考える時、朝日新聞の広告掲載基準はお飾りに成り下がったという個人的感想を持 つ。そして広告掲載基準という内規を「無視」してまで広告を集めるのは社会の公器が成すべきことではない。つまり朝日に限らず、現在の新聞やTVはただの 営利企業だ。

高裁においては、この点が考慮されるよう期待する。つまり新聞やTVは

1.ただの営利企業だから原告の主張を退ける
ないしは
2.新聞やTVは社会の公器だから瑕疵を認める

のどちらかの司法判断がでるべきと私は考える。